【閲覧に関するご案内】
本ブログは、医療空間における権力構造や、そこに生じる心理的な嫌悪感・ざわつき等を分析・考察するものです。特定の医療機関や従事者を非難・攻撃するつもりはありませんが、記事の性質上、医療現場の生々しい実態や直接的な表現が含まれる場合があります。ご自身の心身の状況に合わせて、無理のない範囲で閲覧をご判断ください。詳しくはサイトポリシーをご一読ください。
こんにちは、御簾納です。お久しぶりです。
Sさんという強烈な当事者からの告発を受け、私自身の敗北と男の十字架を宣言して、このブログの定期更新を一旦ストップしてから少し時間が経ちました。
重苦しい「本丸」の探求は水面下で続けつつも、最近は少し肩の力を抜いて、当時のフィールドワークで書き溜めたまま埃を被っていたノートの切れ端を読み返しています。
あのヒリヒリとした密室の解剖の裏側で、実は私のノートの端っこには、ひどく人間臭くて、思わずクスッと笑ってしまうような記録も残されていました。
今回からは、そんな「こぼれ落ちた考察の欠片」を、日記やエッセイ代わりに不定期で綴っていこうと思います。
今回は、あの極限の緊張空間である内診室で巻き起こる、人間の極めて滑稽で、しかし愛おしい「死角」についてのお話です。
完璧な自己検閲が生む「足元の死角」
女性たちが婦人科を受診する際、「汚いと思われたくない」「匂ったらどうしよう」と、自らのデリケートな部位に対して血の滲むような自己検閲を行っていることは、以前のブログでも少し触れました。
しかし、色々な文献や現役の医師たちの声を拾い集めていると、極度の緊張状態が生み出す、ある奇妙な「死角」が浮かび上がってきます。
それは「足の匂い」です。
婦人科の医師たちの本音を探ると、実は「アソコの匂いよりも、脱いだ後の足(靴下やブーツ)の匂いの方が強烈で困ることがある」という意見が少なからず散見されるのです。とくに、夏場や冬のブーツの季節など、内診台に乗って足を開いた瞬間に、足元から強烈な生活臭が漂ってくることがあるのだとか。
これは空間社会学的に見ても、非常に示唆に富んだ現象です。
女性たちは「医師のまなざし」が自らの性器に向けられることに極度の恐怖を抱き、股間のケアには異常なまでの神経を使います。しかし、意識がその「一点」に集中しすぎた結果、自分の足元という空間的・身体的な死角が、文字通り完全にスコーンと抜け落ちてしまっているのです。
あの完璧に見える女性たちが、股間は無菌状態に磨き上げているのに、足からはプンプンとブーツの匂いをさせている。権力への恐怖が人間の注意力をいかに歪めるかの見事な証明であり、同時に、人間のどうしようもない「隙」が見えて、私はこのエピソードになんだか少しホッとしてしまうのです。
絶望の密室に響く「オナラの喜劇」
そしてもう一つ。
かつて私はこのブログの【No.028】で、「女性が内診台で強いられる無力感には、笑いが入り込む余地など1ミリもない」と断言しました。肛門科での笑いと異なり、婦人科の密室はジェンダーと権力の搾取に雁字搦めにされているからです。
しかし、婦人科の体験談を読み漁る中で、その私の断言を見事に裏切る、異様な光を放っている生理現象があります。
「内診中のオナラ」です。
内診台では腹部や腸が物理的に圧迫されるため、どうしてもガスが出やすくなります。ただでさえ羞恥心の極致であるあの空間で、あろうことかオナラをしてしまう。普通に考えれば、それは筆舌に尽くしがたい絶望であり、社会的な死を意味するはずです。
しかし不思議なことに、女性たちのブログやSNSの書き込みを見ると、このオナラのエピソードだけは「笑い話」として、極めてコミカルに、赤裸々に語られているのです。
痛かったこと、器具を入れられて屈辱だったことは、重苦しいトラウマとして語られるのに、なぜ「オナラ」だけは明るく語ることが許容されているのでしょうか。
「笑いの防空壕」への逃避
その答えは、オナラという現象が「女性から『笑いの防空壕』へと逃げ込むための、唯一の免罪符」だからです。
内診台で股を広げられ、機械でこじ開けられる屈辱は、女性というジェンダーに直結した暴力性を孕んでいるため、重すぎて笑い話に変換できません。
しかし「オナラ」は違います。それは、男であろうが女であろうが発生する、非性的な、ただの「人間の生理的なドジ(喜劇)」です。
女性たちは、極限の緊張と屈辱の中で偶然発生してしまったオナラを、必死に「コミカルな失敗談」として処理することで、重苦しいジェンダーの呪縛から一瞬だけ逃れ、自らの人間性(笑い)を取り戻そうとしているのではないでしょうか。
あの「やっちゃった!」という笑い話の裏には、そうでもしなければ精神が崩壊してしまうという、女性たちの悲痛で、しかしとても逞しい防衛本能が隠されている気がしてなりません。
ガチガチに緊張した密室に、ブーツの匂いと、予期せぬオナラ。
どんなに空間を無機質にデザインし、機械で人間をコントロールしようとしても、生き物としての「人間らしさ」は、思わぬ死角から必ずはみ出してくる。
そんなことを考えながらノートをめくっていると、あの重苦しいクリニックの風景が、ほんの少しだけ違って見えてくるから不思議なものです。
それでは、また気が向いた時に、ノートの切れ端を拾い上げにこようと思います。


コメント