空間と装置

【No.043】カーテンが引かれる日――私たちが本当に直視すべきもの(最終回)

こんにちは、御簾納です。これまで、婦人科という「隠された空間」における権力構造や、メディアの欺瞞、そしてパステルカラーの内診台がもたらす無力化について、私なりの空間社会学の視点から考察を重ねてきました。一つのテーマについて語るべきことは、お...
空間と装置

【No.042】歪んだ禁足地――私たちは何を隠し、何を直視すべきか

こんにちは、御簾納です。過去3回にわたり、カーテンと全自動内診台という2つの装置が、いかに「女性への配慮」を装いながら、実際には「医療側の利便性と支配(まなざしの独占)」のために機能しているかを考察してきました。日本の婦人科は、この2つの強...
空間と装置

【No.041】「最適な視野」への強制――全自動内診台が奪ったもの

こんにちは、御簾納です。今回は、パステルカラーの電動内診台についてです。日本の産婦人科に広く普及している電動内診台。その進化のルーツには、「理容・美容椅子(バーバーチェア)」などの技術が深く関わっていることは、空間社会学的に非常に興味深い事...
空間と装置

【No.040】カーテンという名の欺瞞――それは一体「誰のため」の目隠しなのか

こんにちは、御簾納です。日本の内診室を象徴する、下半身と上半身を分断する分厚いカーテン。これまで女性たちは、少しでも羞恥心を和らげるため、あるいは現実逃避をするため、この布切れの存在に深く依存してきました。「顔が見えないから安心できる」。そ...
空間と装置

【No.039】ガラパゴス化する密室――世界基準から逸脱した日本の「過剰な装置」

こんにちは、御簾納です。このブログではこれまで、婦人科という空間の異常性について様々な角度から考察してきましたが、ここへ来て、あえて「空間の前提」そのものを疑ってみたいと思います。日本の婦人科に必ず存在し、私たちが「あって当然のもの」と思い...
権力と医療倫理

【No.038】分類という名の征服――笠井寛司博士と『日本女性の外性器』

こんにちは、御簾納です。空間社会学、あるいは医学史の裏側を覗こうとする者にとって、避けては通れない一冊の「奇書」があります。1990年代に出版された、笠井寛司博士による膨大な記録集、『日本女性の外性器』です。この本は、医学書という体裁をとり...
メディアと表象

【No.037】ポルノが直視できなかった密室――私の研究の原点と「リアル」の限界

こんにちは、御簾納です。今回は、私がなぜ「婦人科という空間」にこれほどまでに執着し、自費で研究を重ねてこのブログを開設するに至ったのか。その「原点」とも言えるあるエピソードについてお話ししたいと思います。かつて私は、空間の使われ方や視線の構...
社会とジェンダー

【No.036】消費者と患者――「VIO脱毛」と「婦人科」を分つ決定的な境界線

こんにちは、御簾納です。前回、クスコ(腟鏡)の歴史を通じて、女性が婦人科で感じる恐怖は「モノとして扱われる(客体化される)歴史的構造」に起因していると述べました。今回は、その「客体化」という概念をさらに浮き彫りにするため、ネットの検索窓に潜...
権力と医療倫理

【No.035】冷たい金属の記憶――「クスコ(腟鏡)」に刻まれた客体化の歴史

こんにちは、御簾納です。以前の記事で、内診室に響く「カチャカチャという金属音」が、女性をモノへと切り替えるスイッチとして機能しているというお話をしました。今回は、その音を鳴らしている器具そのものに焦点を当ててみたいと思います。日本の婦人科に...
空間と装置

【No.034】もう一つの「開かされる」椅子――歯科診療台と内診台の奇妙な符合

こんにちは、御簾納です。過去数回にわたり、内診の見学という非常に重く、息苦しいテーマを扱ってきました。今回は少しだけ視点を日常に引き戻し、空間社会学の観点から「ある別の身近な医療空間」との比較という、少しライトな思考実験(箸休め)をしてみた...