【No.042】歪んだ禁足地――私たちは何を隠し、何を直視すべきか

空間と装置

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本ブログは、医療空間における権力構造や、そこに生じる心理的な嫌悪感・ざわつき等を分析・考察するものです。特定の医療機関や従事者を非難・攻撃するつもりはありませんが、記事の性質上、医療現場の生々しい実態や直接的な表現が含まれる場合があります。ご自身の心身の状況に合わせて、無理のない範囲で閲覧をご判断ください。詳しくはサイトポリシーをご一読ください。

こんにちは、御簾納です。

過去3回にわたり、カーテンと全自動内診台という2つの装置が、いかに「女性への配慮」を装いながら、実際には「医療側の利便性と支配(まなざしの独占)」のために機能しているかを考察してきました。

日本の婦人科は、この2つの強力な装置を組み合わせることで、世界でも類を見ないほどに「権力の非対称性」が肥大化した空間となりました。

日本のドラマや映画において、他の診療科の手術シーンなどはリアルに描かれるにも関わらず、婦人科の内診シーンだけが絶対に直視されず、ひた隠しにされる理由。それは単に、「アジア特有の文化的な美意識から、性器に関わるものを映せない」というような綺麗な理由だけではありません。

メディアが本当に映せないもの。それは、女性の身体ではありません。

全自動の機械によって限界まで脚を開かされ、カーテンで人間性を切断され、抵抗すら許されない絶対的な無力状態に置かれている女性と、それを一方的に見下ろす医療権力という、「患者を究極の客体へと押し込める、いびつな空間の力学」そのものなのです。

この醜悪な権力構造が可視化されてしまうことへの無意識の恐怖が、あの空間をメディアにおける「完全なるタブー(禁足地)」へと仕立て上げました。

しかし、隠蔽は決して女性を救いません。見えないことにすることで、あの密室の歪みは温存され、強化され続けています。

婦人科の診察シーンを、過剰なエロティシズムでもなく、コメディでもなく、ただ「そこにある現実」として自然に映し出すこと。それは、メディアと社会がこの「歪んだ禁足地の構造」を直視し、解体するための第一歩です。

医師の効率のために作られた機械から、女性の手に「身体の主導権」を取り戻すこと。

そのためには、まず私たちが、あのパステルカラーの偽善に満ちた密室のドアをこじ開け、そこに横たわる残酷な事実を言語化し、社会の共通認識にしなければならないのです。

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