【閲覧に関するご案内】
本ブログは、医療空間における権力構造や、そこに生じる心理的な嫌悪感・ざわつき等を分析・考察するものです。特定の医療機関や従事者を非難・攻撃するつもりはありませんが、記事の性質上、医療現場の生々しい実態や直接的な表現が含まれる場合があります。ご自身の心身の状況に合わせて、無理のない範囲で閲覧をご判断ください。詳しくはサイトポリシーをご一読ください。
こんにちは、御簾納です。
今回は、診察室という「密室」の手前にある空間、すなわち「待合室」について考えてみたいと思います。
産婦人科の待合室は、医療機関の中でも独特の空気を持っています。女性の患者たちが静かに順番を待つ中、時折、パートナーと思しき付き添いの男性の姿を見かけることがあります(私自身、かつて妻に付き添った時期を除けば、現在は当事者として立ち入ることはありませんが、医療機関の空間設計をリサーチする中でしばしば目にする光景です)。
彼ら付き添いの男性たちの多くは、どこか肩身が狭そうに、所在なげにうつむいてスマートフォンの画面を見つめています。まるで「本来自分がいてはいけない女子の園に迷い込んでしまった侵入者」であるかのように、気配を消して座っているのです。
なぜ、彼らはそれほどまでに居心地の悪さを感じるのでしょうか。
ここで、ネット上の匿名掲示板やSNSを観察していると、非常に不可解で、かつ異常な熱量を持った「ある批判」が定期的に巻き起こっていることに気がつきます。
それは、「産婦人科の待合室で、妊婦さんが立っているのに、付き添いの男がソファにドカッと座っているなんてあり得ない」という激しいバッシングです。
もちろん、体調の優れない方や妊婦さんに席を譲ることは、人として100%正しい正論でありマナーです。しかし、少し空間を俯瞰してみてください。待合室で付き添いとしてソファに座っているのは、決して男性だけではありません。実の母親など「女性の付き添い客」も数多く座っています。それにもかかわらず、「付き添いの中年女性が座っていて、妊婦が立っていた」という光景がネットで激しく批難されることは皆無に等しいのです。
また、待合室が妊婦さんであふれ返り、立たなければならないほど混雑している状況が、果たしてそこまで頻発しているのでしょうか。
なぜ、「男が座っていること」だけが、これほどまでに異常な熱量で糾弾されるのか。
空間社会学の視点でこの待合室を定義するなら、そこは単なる「診察を待つ場所」ではありません。日常の「社会的な自分」から、内診台という極限の『禁足地(密室)』へ向き合うための無防備な患者へと精神を移行させる、極めてデリケートな【緩衝地帯(トランジション空間)】です。
これから最も無防備な状態になる女性たちにとって、この緩衝地帯は絶対的な安心感と心理的安全性が担保された「サンクチュアリ(聖域)」でなければなりません。
しかし、そこに異物である「男性」が存在する。空間において、男性の存在は「外部の社会」や「脅威となり得るまなざし」の象徴として機能してしまいます。そのため、女性たちの張り詰めた精神状態は無意識のうちに乱され、「ここは自分たちの安全地帯だから、できれば入ってこないでほしい」という本能的な警戒心を抱いてしまうのです。
しかし、ここで現代の女性たちは、非常に残酷なジレンマに直面します。
現代社会は「ジェンダー平等」や「男性の育児への参加」を強く推奨しています。「パートナーの同伴」は素晴らしいことであり、「ここは女の園だから男は来るな」とストレートに口にすることは、時代に逆行する不寛容な態度として許されない空気が出来上がっています。
言いたいけれど、言えない。自分たちの安全なシェルターを乱される不安を、素直に表現する言葉を、社会の「正しさ」に奪われてしまったのです。
この行き場のない切実な防衛本能が、「妊婦さんを立たせて平気なのか」という、誰も反論できない『完璧な大義名分(マナー論)』へと無意識に変換され、噴出しているのではないでしょうか。
私はこれを、女性たちの意地悪や単なる八つ当たりだとは思いません。それは、自分たちのサンクチュアリを守るために、社会の建前を借りるしかなかった彼女たちの「悲痛なSOS」なのだと思います。
男性たちが待合室で感じる「居心地の悪さ」の正体は、この空間のミスマッチの中で、女性たちが必死に張っている「無言の防衛線(拒絶のサイン)」を肌で感じ取っているからに他なりません。
しかし、この「言えない女性」と「遠慮する男性」という構図は、結果として女性を医療の中で孤立させてしまいます。女性の身体の不調や、妊娠・出産に伴うハードルは、本来カップルや社会全体で共有し、サポートすべき課題です。
男性が産婦人科の待合室で感じる居心地の悪さは、空間設計の未熟さと社会の過渡期がもたらした残滓です。女性たちがマナー論にすり替えてまで守りたかった防衛本能の切実さを深く理解した上で、それでも男性側が「ここは自分がいてもいい、共に健康を考えるための当たり前の場所だ」と胸を張れるようになること。それこそが、産婦人科という空間から不要なベールを取り払うための、大切なプロセスだと私は考えています。


コメント