2026-06

権力と医療倫理

【No.038】分類という名の征服――笠井寛司博士と『日本女性の外性器』

こんにちは、御簾納です。空間社会学、あるいは医学史の裏側を覗こうとする者にとって、避けては通れない一冊の「奇書」があります。1990年代に出版された、笠井寛司博士による膨大な記録集、『日本女性の外性器』です。この本は、医学書という体裁をとり...
メディアと表象

【No.037】ポルノが直視できなかった密室――私の研究の原点と「リアル」の限界

こんにちは、御簾納です。今回は、私がなぜ「婦人科という空間」にこれほどまでに執着し、自費で研究を重ねてこのブログを開設するに至ったのか。その「原点」とも言えるあるエピソードについてお話ししたいと思います。かつて私は、空間の使われ方や視線の構...
社会とジェンダー

【No.036】消費者と患者――「VIO脱毛」と「婦人科」を分つ決定的な境界線

こんにちは、御簾納です。前回、クスコ(腟鏡)の歴史を通じて、女性が婦人科で感じる恐怖は「モノとして扱われる(客体化される)歴史的構造」に起因していると述べました。今回は、その「客体化」という概念をさらに浮き彫りにするため、ネットの検索窓に潜...
権力と医療倫理

【No.035】冷たい金属の記憶――「クスコ(腟鏡)」に刻まれた客体化の歴史

こんにちは、御簾納です。以前の記事で、内診室に響く「カチャカチャという金属音」が、女性をモノへと切り替えるスイッチとして機能しているというお話をしました。今回は、その音を鳴らしている器具そのものに焦点を当ててみたいと思います。日本の婦人科に...
空間と装置

【No.034】もう一つの「開かされる」椅子――歯科診療台と内診台の奇妙な符合

こんにちは、御簾納です。過去数回にわたり、内診の見学という非常に重く、息苦しいテーマを扱ってきました。今回は少しだけ視点を日常に引き戻し、空間社会学の観点から「ある別の身近な医療空間」との比較という、少しライトな思考実験(箸休め)をしてみた...
権力と医療倫理

【No.033】密室の多眼化(4)――「知人の内診」を消費する、歪んだ優越感

こんにちは、御簾納です。内診見学における知人との遭遇。この地獄のような事象の背後には、私たち男性が直視しなければならない、おぞましい「本音」が隠されています。以前、ネットの匿名掲示板に書き込まれた、ごく一部の心無い男性医師(あるいは医師を名...
権力と医療倫理

【No.032】密室の多眼化(3)――「サークルの先輩」「同級生」が覗き込む地獄

こんにちは、御簾納です。内診見学の特異な心理的負荷について語る上で、決してフィクションでは済まされない、あまりにも残酷な現実があります。それは、「見学している学生や医師が、患者の個人的な知人であった」というケースです。かつて女性週刊誌の婦人...
権力と医療倫理

【No.031】密室の多眼化(2)――「無断見学」の恐怖と、同意という名の同調圧力

こんにちは、御簾納です。前回に続き、「内診見学」という究極の客体化について考察します。大学病院や総合病院での診療において、患者はしばしば「教育機関であるため、医学生が見学に同席することがあります」という一文にサインを求められます。しかし、こ...
権力と医療倫理

【No.030】密室の多眼化(1)――『ロマンスX』と、内診見学という究極の客体化

こんにちは、御簾納です。今回から4回にわたり、婦人科という空間において、女性が最も深い心理的負荷と尊厳の剥奪を経験するシチュエーションについて考察します。それは「医学生や研修医による、内診の見学(臨床実習)」です。以前、カトリーヌ・ブレイヤ...
社会とジェンダー

【No.029】「男として終わった」――前立腺手術に見る、男性の絶望と客体化

こんにちは、御簾納です。前回は、女性の婦人科診察が持つ「笑いに変換できない生々しい権力性」について語りました。では、男性にとっての「絶対に笑えない、隠蔽すべき医療行為」とは何でしょうか。男性の身体における最大のタブー。それは「男性としての力...