2026-06

社会とジェンダー

【No.028】笑える密室と笑えない密室――真矢みき氏の「直腸診」と婦人科の特異性

こんにちは、御簾納です。私たちがこれまで考察してきた婦人科の内診室は、メディアにおいて常に「隠蔽されるタブー」か「搾取されるエロティシズム」のどちらかであり、決して「笑い」に変換されることはありませんでした。今回は、この「婦人科の特異性(な...
社会とジェンダー

【No.027】男たちのダブルバインド――「無機質なまなざし」がえぐるプライド

こんにちは、御簾納です。前回に続き、パートナーの女性が男性医師の診察を受ける際の「夫の心理」について考察します。夫の立場から見た時、妻のプライベートな部分を直視し、指で直接触れて診察を行う男性医師の「心の中」は、絶対に考えたくない、しかし考...
社会とジェンダー

【No.026】排他性の例外規定――妻が内診台に上がる時、夫は何を喪失するのか

こんにちは、御簾納です。ここまで、婦人科の密室で女性がどのような権力構造に置かれているかを考察してきました。今回は少し視点を変え、その密室の「外側」にいる存在、すなわち「患者のパートナー(夫や恋人)」の男性心理について解剖してみたいと思いま...
メディアと表象

【No.025】消えたドキュメンタリーと失われた機会――メディアの事勿れ主義がもたらしたもの

こんにちは、御簾納です。前回は映画『ロマンスX』を引き合いに、隠蔽や美化を排した内診室の現実について考察しました。今回はひるがえって、日本のメディア(特にテレビのドキュメンタリー)がこの空間とどう向き合ってきたかについて、少し時代を遡って振...
メディアと表象

【No.024】物質としての肉体と孤立――『ロマンスX』が描いた内診の冷徹さ

こんにちは、御簾納です。前回、西洋映画における「まなざしの倫理」について触れましたが、映像史にはもう一つ、全く別のアプローチで女性の身体の真実に迫ろうとした極めて重要な作品があります。カトリーヌ・ブレイヤ監督の1999年の映画『ロマンスX』...
メディアと表象

【No.023】まなざしの倫理――西洋映画が提示する「隠蔽」と「露出」の先にあるもの

こんにちは、御簾納です。ここ数回にわたり、メディアが女性の身体と診察室をどう扱ってきたかについて考察してきました。現代の日本のテレビドラマは臭い物に蓋をするように「綺麗に隠蔽」し、一昔前の映像作品は「権力とエロスの装置として搾取」し、最近の...
メディアと表象

【No.022】メディアにおける身体の境界線(後編)――無修正の現実と、「綺麗な蝶」という暴力

こんにちは、御簾納です。前回はドイツのコメディ番組を例に、西洋のフラットな身体表現について語りました。今回はその「ありのままを映す」というアプローチが極端な形で現れている、現代のネットメディアの事例を取り上げます。YouTubeなどの動画プ...
メディアと表象

【No.021】メディアにおける身体の境界線(前編)――ドイツのお茶の間に流れた「無修正の日常」

こんにちは、御簾納です。前回は日本と欧米の実際の「診察室の設備」について比較しましたが、今回は視点をメディアに戻し、「欧米の映像作品において、人間の身体の生々しい現実がどう扱われているか」について考えてみたいと思います。少し個人的な思い出に...
海外・比較文化論

【No.020】海を越えた内診室(後編)――「羞恥心」を隠す日本、「尊厳」を守る欧米

こんにちは、御簾納です。前回の続きとして、日本と欧米の婦人科における「思想の違い」について考察します。カーテンがなく、目線を合わせながら対話ベースで診察が進む欧米のスタイル。これを聞いて、多くの日本の女性は「顔を見られながら診察されるなんて...
海外・比較文化論

【No.019】海を越えた内診室(前編)――欧米に「パステルカラーの椅子」と「カーテン」がない理由

こんにちは、御簾納です。このブログではこれまで、日本の婦人科における「電動内診台」や「カーテン」がもたらす権力構造について考察してきました。しかし、そもそもこれらの設備は、世界共通の「医療のスタンダード」なのでしょうか。今回は少し視点を広げ...