【No.021】メディアにおける身体の境界線(前編)――ドイツのお茶の間に流れた「無修正の日常」

メディアと表象

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こんにちは、御簾納です。

前回は日本と欧米の実際の「診察室の設備」について比較しましたが、今回は視点をメディアに戻し、「欧米の映像作品において、人間の身体の生々しい現実がどう扱われているか」について考えてみたいと思います。

少し個人的な思い出になりますが、10年ほど前、私は仕事の取材でドイツに滞在していました。その時、ホテルのテレビで偶然目にした「Endlich Deutsch!(ついにドイツ人!)」という番組が、私のメディアにおける身体感覚に強烈なカルチャーショックを与えたのです。

これはドイツの公共放送(WDR)で制作されたモキュメンタリー(ドキュメンタリー風のコメディ)で、ドイツの市民権を得ようとする外国人向けの「統合コース」を舞台にした作品です。

「海外の番組だから、どうせヌードくらい普通に映るのだろう」と高を括る読者もいるかもしれません。しかし、日本の常識からかけ離れていたのは、その「見せ方の次元」でした。

番組内で、ドイツの伝統的な裸体文化である「FKK(Freikörperkultur=フリーボディカルチャー)」に関連するエピソードがあります。そこで、ヒロインの女性が全裸になるシーンがあるのですが、カメラは彼女の無毛の割れ目まで、いっさいのマスキング処理や不自然なアングルによる隠蔽をすることなく、はっきりとありのままに画面に映し出しました。

日本の感覚であれば、これは完全なる「ポルノグラフィ」であり、お茶の間のテレビに流すなど絶対に許されない放送事故レベルの映像です。

しかし驚くべきことに、その番組内では、この強烈な身体の露出が「性的な興奮を煽るもの」としてではなく、単なる「文化的なギャップを描くための、少し滑稽な日常のワンシーン」として、極めてドライに、フラットに消費されていたのです。視聴者もまた、これをコメディのいち要素として普通に受け入れています。

この時、私は日独の「メディアコードの決定的な差」を思い知らされました。

人間の最もプライベートな部位であっても、それを過剰にタブー視したり、あるいは逆にいやらしく搾取したりせず、ただの「物理的な肉体(エラーも含めた日常)」として直視できる土壌。欧米の婦人科に「目隠しのカーテン」が存在しない理由は、まさにこの「身体をただの身体として受け入れる社会の成熟度」に裏打ちされているのだと納得しました。

しかし、この「ありのままを映し出すこと」は、常に正しい結果をもたらすのでしょうか。

次回(後編)は、別のアジアの国における「無修正の医療動画」を例に挙げ、生々しい現実をそのままメディアに乗せることの「暴力性」について考察します。

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