映画・ドラマ

メディアと表象

【No.024】物質としての肉体と孤立――『ロマンスX』が描いた内診の冷徹さ

こんにちは、御簾納です。前回、西洋映画における「まなざしの倫理」について触れましたが、映像史にはもう一つ、全く別のアプローチで女性の身体の真実に迫ろうとした極めて重要な作品があります。カトリーヌ・ブレイヤ監督の1999年の映画『ロマンスX』...
メディアと表象

【No.023】まなざしの倫理――西洋映画が提示する「隠蔽」と「露出」の先にあるもの

こんにちは、御簾納です。ここ数回にわたり、メディアが女性の身体と診察室をどう扱ってきたかについて考察してきました。現代の日本のテレビドラマは臭い物に蓋をするように「綺麗に隠蔽」し、一昔前の映像作品は「権力とエロスの装置として搾取」し、最近の...
メディアと表象

【No.021】メディアにおける身体の境界線(前編)――ドイツのお茶の間に流れた「無修正の日常」

こんにちは、御簾納です。前回は日本と欧米の実際の「診察室の設備」について比較しましたが、今回は視点をメディアに戻し、「欧米の映像作品において、人間の身体の生々しい現実がどう扱われているか」について考えてみたいと思います。少し個人的な思い出に...
メディアと表象

【No.018】隠す現代のテレビと、搾取したかつての映像の間で――失われた「中立的な身体」

こんにちは、御簾納です。ここまで2回にわたり、メディアが内診室という空間をどう描いてきたかを考察しました。現代のテレビドラマはそれを「美しく漂白して隠蔽」し、コンプライアンスが緩かった過去の映像作品群はそれを「権力とエロティシズムの装置とし...
メディアと表象

【No.017】かつての映像作品に見る「まなざしの搾取」――権力装置としての内診台

こんにちは、御簾納です。前回は、現代のテレビドラマがいかに産婦人科の密室を「綺麗に漂白」しているかについて語りました。しかし、今回は少し視点を変えます。表現の制約が現在よりもずっと緩やかだった、一昔前の映像作品に目を向けると、この空間の描か...
メディアと表象

【No.016】ドラマが描かない「パステルカラーの椅子」――テレビはいかにして密室を漂白したか

こんにちは、御簾納です。熊田曜子氏の事例を通じて、現実の女性が「実際の診察風景」を公開した際の社会の拒絶反応について考えました。では、社会を映す鏡であるはずの「メディア」は、普段この空間をどのように描いているのでしょうか。例えば、プライムタ...
メディアと表象

【No.010】「私は神だ」――映画『冷たい月を抱く女』に見る、医療パターナリズムの極致

こんにちは、御簾納です。今回は、少し息抜きも兼ねて、私の趣味である映画の話をさせてください。以前、クローネンバーグ監督の『戦慄の絆』を取り上げましたが、今日も90年代の医療サスペンスから、ある強烈なテーマを持った作品をご紹介したいと思います...
メディアと表象

【No.004】医療のまなざしが狂気に変わる時――映画『戦慄の絆』が描くもの

こんにちは、御簾納です。このブログでは日本の日常に潜む空間のタブーについて綴っていますが、息抜きも兼ねて、今日は私の趣味である映画の話を少しさせてください。私は昔から、人間の深層心理をえぐるようなサイコスリラーや医療サスペンス映画を好んで観...
メディアと表象

【No.003】メディアが描く男女の身体――CMに見る「隠す圧力」の違い

こんにちは、御簾納です。前回は「デリケートゾーン」という言葉が持つ隠蔽の構造について触れました。今回は、その延長線として、メディアが男女の身体のトラブルをどのように描き分けているか、ある対照的なテレビCMを例に考察してみたいと思います。**...