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本ブログは、医療空間における権力構造や、そこに生じる心理的な嫌悪感・ざわつき等を分析・考察するものです。特定の医療機関や従事者を非難・攻撃するつもりはありませんが、記事の性質上、医療現場の生々しい実態や直接的な表現が含まれる場合があります。ご自身の心身の状況に合わせて、無理のない範囲で閲覧をご判断ください。詳しくはサイトポリシーをご一読ください。
こんにちは、御簾納です。
ここまで2回にわたり、メディアが内診室という空間をどう描いてきたかを考察しました。
現代のテレビドラマはそれを「美しく漂白して隠蔽」し、コンプライアンスが緩かった過去の映像作品群はそれを「権力とエロティシズムの装置として搾取」してきました。
この二つの極端な映像表現を並べてみた時、熊田曜子氏が自身の検診動画を公開した際に起きたバッシングの「本当の理由」が、より鮮明に浮かび上がってきます。
日本のメディア空間には、女性の身体を「フラットで中立的な、医療の対象としての身体」として描く文脈が、決定的に欠落しているのです。
社会は「神聖な命の奇跡(綺麗な現代のドラマ)」か、「覗き見趣味的なエロティシズム(搾取する過去の映像作品)」の二つのレンズを通してしか、産婦人科の密室を認識することができません。
熊田氏が提示した「自分自身の健康を管理するための、現実の医療風景」は、どちらのレンズにも収まらないノイズでした。だからこそ社会は混乱し、「見せてはならないものを晒した(恥だ)」「いや、これは性的な露出だ(エロだ)」と、無理やり自分たちの持っている二極化されたコードに引きずり込み、消費してしまったのです。
メディアが「極端な綺麗事(現代のドラマ)」か「極端な性搾取や悲劇の消費(かつての映像表現)」しか提示しないせいで、現実の女性たちは自分の身体をフラットに語る文脈(言葉)を奪われてしまっています。
現実の診察室は、現代のドラマのように美しくもなければ、一昔前のドラマや映画のようにドラマチックな悲劇が起きる場所でもありません。ただ、不自然な権力構造と、物理的な不快感と、それを耐え忍ぶ女性たちの「静かな疲労」がそこにあるだけです。
視聴者の顔色を窺って真実を漂白する現代のテレビ局の事勿れ主義。そして、女性の身体をエロティシズムや悲劇の道具として無自覚に搾取した過去の映像制作者たちの傲慢さ。
この両極端な「メディアの怠慢」こそが、女性特有の病や身体の現実を、いつまでも社会のタブーとして押し留めている元凶です。メディアの制作陣が覚悟を持って「中立的な身体」を描かない限り、あの分厚いカーテンが解体される日は来ないでしょう。


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