まなざしの暴力

空間と装置

【No.060】癒しのオルゴールと視線を逸らす椅子 —— 待合室に張られた見えない結界

こんにちは、御簾納です。今日は、婦人科の「待合室」にフォーカスしたノートの切れ端から。この話を書こうと思ったきっかけは、女性たちの雑談を眺めていたことでした。婦人科の話題になると、妙に高い確率で待合室の話が出てくるのです。しかもだいたい、あ...
社会とジェンダー

【No.056】消えないエロティシズムの呪縛 —— 女は『ちくわ』になれない

こんにちは、御簾納です。前回、私は宿題を残しました。TURPの映像は笑えて、内診の映像は笑えない。その差が何なのかを、次回考えてみます、と。考える必要はありませんでした。答えは、向こうからやってきたからです。TURPの映像を見終わった後、妻...
社会とジェンダー

【No.051】「私のは綺麗ですか?」の絶望と、致命的な失言 —— Sさんとの対話(5)

こんにちは、御簾納です。前回、私は掲示板で見つけた「無菌の呪い」について書きました。そして最後に、掴みきれない尻尾が一つ残っている、とも。その話を、そのままSさんにぶつけてみました。彼女たちが検診の前に何度も身体を洗っていること。頭では検体...
権力と医療倫理

【No.049】概念の分断と視覚の漂白 —— Sさんとの対話(4)

こんにちは、御簾納です。前回は、0.1ミリにも満たない膜の話でした。責める相手のいない加害、というところに行き着いて終わっています。対話は、そこからもう一段進みました。今度は物ではありません。医療が使う「言い方」の話です。女性が婦人科で抱く...
メディアと表象

【No.047】産科の『聖』と婦人科の『俗』―― 1990年のまなざしを解剖する

こんにちは、御簾納です。今回は、少し視点を変えます。Sさんの証言からいったん離れて、まだ緩やかだった時代のメディアが、この空間をどう扱っていたかを、古い映画から紐解いてみたいと思います。軽い回にするつもりでした。結果としては、そうなりません...
空間と装置

【No.043】カーテンが引かれる日――私たちが本当に直視すべきもの(最終回)

こんにちは、御簾納です。これまで、婦人科という「隠された空間」における権力構造や、メディアの欺瞞、そしてパステルカラーの内診台がもたらす無力化について、私なりの空間社会学の視点から考察を重ねてきました。一つのテーマについて語るべきことは、お...
権力と医療倫理

【No.038】分類という名の征服――笠井寛司博士と『日本女性の外性器』

こんにちは、御簾納です。空間社会学、あるいは医学史の裏側を覗こうとする者にとって、避けては通れない一冊の「奇書」があります。1995年に出版された、笠井寛司博士による膨大な記録集、『日本女性の外性器』です。この本は、医学書という体裁をとりな...
社会とジェンダー

【No.027】男たちのダブルバインド――「無機質なまなざし」がえぐるプライド

こんにちは、御簾納です。前回に続き、パートナーの女性が男性医師の診察を受ける際の「夫の心理」について考察します。夫の立場から見た時、妻のプライベートな部分を直視し、指で直接触れて診察を行う男性医師の「心の中」は、絶対に考えたくない、しかし考...
社会とジェンダー

【No.026】排他性の例外規定――妻が内診台に上がる時、夫は何を喪失するのか

こんにちは、御簾納です。ここまで、婦人科の密室で女性がどのような権力構造に置かれているかを考察してきました。今回は少し視点を変え、その密室の「外側」にいる存在、すなわち「患者のパートナー(夫や恋人)」の男性心理について解剖してみたいと思いま...
メディアと表象

【No.022】メディアにおける身体の境界線(後編)――無修正の現実と、「綺麗な蝶」という暴力

こんにちは、御簾納です。前回はドイツのコメディ番組を例に、西洋のフラットな身体表現について語りました。今回はその「ありのままを映す」というアプローチが極端な形で現れている、現代のネットメディアの事例を取り上げます。YouTubeなどの動画プ...