まなざしの暴力

空間と装置

【No.043】カーテンが引かれる日――私たちが本当に直視すべきもの(最終回)

こんにちは、御簾納です。これまで、婦人科という「隠された空間」における権力構造や、メディアの欺瞞、そしてパステルカラーの内診台がもたらす無力化について、私なりの空間社会学の視点から考察を重ねてきました。一つのテーマについて語るべきことは、お...
権力と医療倫理

【No.038】分類という名の征服――笠井寛司博士と『日本女性の外性器』

こんにちは、御簾納です。空間社会学、あるいは医学史の裏側を覗こうとする者にとって、避けては通れない一冊の「奇書」があります。1990年代に出版された、笠井寛司博士による膨大な記録集、『日本女性の外性器』です。この本は、医学書という体裁をとり...
社会とジェンダー

【No.027】男たちのダブルバインド――「無機質なまなざし」がえぐるプライド

こんにちは、御簾納です。前回に続き、パートナーの女性が男性医師の診察を受ける際の「夫の心理」について考察します。夫の立場から見た時、妻のプライベートな部分を直視し、指で直接触れて診察を行う男性医師の「心の中」は、絶対に考えたくない、しかし考...
社会とジェンダー

【No.026】排他性の例外規定――妻が内診台に上がる時、夫は何を喪失するのか

こんにちは、御簾納です。ここまで、婦人科の密室で女性がどのような権力構造に置かれているかを考察してきました。今回は少し視点を変え、その密室の「外側」にいる存在、すなわち「患者のパートナー(夫や恋人)」の男性心理について解剖してみたいと思いま...
メディアと表象

【No.022】メディアにおける身体の境界線(後編)――無修正の現実と、「綺麗な蝶」という暴力

こんにちは、御簾納です。前回はドイツのコメディ番組を例に、西洋のフラットな身体表現について語りました。今回はその「ありのままを映す」というアプローチが極端な形で現れている、現代のネットメディアの事例を取り上げます。YouTubeなどの動画プ...
メディアと表象

【No.018】隠す現代のテレビと、搾取したかつての映像の間で――失われた「中立的な身体」

こんにちは、御簾納です。ここまで2回にわたり、メディアが内診室という空間をどう描いてきたかを考察しました。現代のテレビドラマはそれを「美しく漂白して隠蔽」し、コンプライアンスが緩かった過去の映像作品群はそれを「権力とエロティシズムの装置とし...
社会とジェンダー

【No.015】晒すことの勇気と社会の限界(後編)――「まなざし」の成熟を阻むもの

こんにちは、御簾納です。前回に続き、熊田曜子氏の婦人科検診動画について考えます。彼女が自らの身体を張って「検診の重要性」を啓蒙したにもかかわらず、なぜ一部の層はそれを下世話に消費し、あるいは「わざわざ見せるなんてはしたない」とバッシングに走...
社会とジェンダー

【No.014】晒すことの勇気と社会の限界(前編)――熊田曜子氏の検診動画が問うたもの

こんにちは、御簾納です。前回は、内診室のカーテンが「不本意に開かれた」事件について考察しましたが、今回はその逆とも言える事象――「自らの意思で密室を可視化した」事例について、少し掘り下げてみたいと思います。数年前、タレントの熊田曜子氏が、自...
空間と装置

【No.011】シュレディンガーの密室(前編)――突然開かれたカーテンが破壊したもの

こんにちは、御簾納です。今回から3回にわたり、数年前にネット界隈で大きな議論を呼んだ「ある女性インフルエンサーの告発」について、空間社会学と権力構造の視点から深く掘り下げてみたいと思います。その事件は、彼女が婦人科で内診を受けている最中に起...