【No.038】分類という名の征服――笠井寛司博士と『日本女性の外性器』

権力と医療倫理

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こんにちは、御簾納です。

空間社会学、あるいは医学史の裏側を覗こうとする者にとって、避けては通れない一冊の「奇書」があります。1990年代に出版された、笠井寛司博士による膨大な記録集、『日本女性の外性器』です。

この本は、医学書という体裁をとりながらも、その圧倒的なまでの執着心において他の追随を許しません。博士は数十年にわたり、数千人(一説には8,000人以上)もの日本人女性の局所を、同一の条件下で、同一の画角で撮影し続け、それを極めて精緻に分類・体系化しました。

当時の医学界においてさえ、この試みは驚愕と、ある種の戸惑いを持って迎えられました。

なぜ一人の医師が、これほどまでの年月と情熱を捧げ、ひたすらに「個体差」を記録し続けなければならなかったのか。そこにあるのは純粋な医学的探求心なのか、それとも、医学という大義名分を隠れ蓑にした、個人的な「執着(コレクション)」なのか。

私がこの博士の足跡に強く惹かれるのは、そこに「男性知識人による、女性の身体への究極の支配欲」の形を見てしまうからです。

人間は、正体のわからないもの、得体の知れないものに恐怖を感じます。

男性にとって、女性の身体の深部は、文字通り「禁足地(聖域)」であり、理解の及ばないブラックボックスでした。博士が行ったのは、その不可視の領域を白日の下に晒し、「分類」という檻に閉じ込める作業でした。

「これはA型、これはB型」とラベルを貼り、体系化すること。それは、知の力によって対象を完全にコントロール下に置こうとする、知的な「征服」に他なりません。

パステルカラーの内診台のカーテンの向こう側で、医師が淡々と患部を観察する時、そこには博士が抱いていたものと同じ「観察者の優越」が流れています。

対象を徹底的に客観化し、情緒を排除し、ただの「サンプル」として扱うこと。

博士の仕事が、出版から半世紀近く経った今でも古びない異彩を放っているのは、彼が「医療」という仮面を脱ぎ捨てる寸前のところで、剥き出しの「見る欲望」を学術へと昇華させてしまったからではないでしょうか。

もちろん、彼の残したデータは医学的に極めて貴重であり、多くの臨床に貢献しました。

しかし、そのページをめくる時、私たちは問いかけずにはいられません。

カメラのレンズを見つめる数千人の女性たちのまなざしと、それを覗き込む一人の男のまなざし。その間に横たわる、埋めようのない権力の溝を。

「純粋な研究」と「変質的な執着」。

その境界線は、実は私たちが信じたいほど明確なものではないのかもしれません。私自身、このブログで婦人科という空間を執拗に解剖し続けている行為が、博士の狂気とどこで繋がっているのか……自戒を込めて考え続けています。

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