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本ブログは、医療空間における権力構造や、そこに生じる心理的な嫌悪感・ざわつき等を分析・考察するものです。特定の医療機関や従事者を非難・攻撃するつもりはありませんが、記事の性質上、医療現場の生々しい実態や直接的な表現が含まれる場合があります。ご自身の心身の状況に合わせて、無理のない範囲で閲覧をご判断ください。詳しくはサイトポリシーをご一読ください。
こんにちは、御簾納です。
内診見学の特異な心理的負荷について語る上で、決してフィクションでは済まされない、あまりにも残酷な現実があります。それは、「見学している学生や医師が、患者の個人的な知人であった」というケースです。
かつて女性週刊誌の婦人科特集で、ある女性のトラウマ体験が語られていました。彼女が内診台で脚を開き、診察を受けている際、同席していた若い研修医が、あろうことか「自分の中学時代の同級生」だったというのです。
また、ネット上の匿名の体験談の中には、さらに悪質なものも存在します。「大学病院で診察を受けた際、見学の医学生の中に同じ大学のサークルの先輩がおり、後日、飲み会の席で自分の内診の様子をネタとして語られた」という、背筋の凍るような告発です。
これらは極端な例かもしれませんが、ネットの片隅などで、こうした悲痛な声が実際に語られているのも事実です。「医療という匿名性の高い密室」が、突如として「個人的な日常の人間関係」へと接続されてしまうこの瞬間。女性にとって、これ以上の地獄が存在するでしょうか。
建前上、医療者は患者のプライバシーを守る義務があります。しかし、パステルカラーの内診台の上に強制的に開かれたのは、間違いなく「知っているあの女性」の生々しい肉体です。
社会的な関係性(同級生、後輩)という鎧を完全に剥ぎ取られ、最も屈辱的な姿勢で、知人に己の身体の深部までを観察される。そしてそれが、酒の席という下世話なホモソーシャル(男同士の連帯)の中で、好奇と嘲笑の対象として消費される。
一人の女性が日常で築き上げてきた「社会的な関係性」が、医療という特殊な空間に持ち込まれた途端に無効化され、ただの観察対象として扱われてしまう。空間社会学の観点から見ても、これは密室空間が本来保証すべき患者の心理的安全性を根底から破壊する、極めて深刻なプライバシーの侵害であると私は考えます。
なぜ、彼らはそこまで残酷になれるのか。次回、この絶望的な構造の根底にある、男性側の「歪んだ優越感」の正体を突き止めます。


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