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本ブログは、医療空間における権力構造や、そこに生じる心理的な嫌悪感・ざわつき等を分析・考察するものです。特定の医療機関や従事者を非難・攻撃するつもりはありませんが、記事の性質上、医療現場の生々しい実態や直接的な表現が含まれる場合があります。ご自身の心身の状況に合わせて、無理のない範囲で閲覧をご判断ください。詳しくはサイトポリシーをご一読ください。
こんにちは、御簾納です。
前回は、内診室のカーテンが「不本意に開かれた」事件について考察しましたが、今回はその逆とも言える事象――「自らの意思で密室を可視化した」事例について、少し掘り下げてみたいと思います。
数年前、タレントの熊田曜子氏が、自身の子宮頸がん検診の様子をYouTubeで配信したことがありました。内診台に上がり、実際に検診を受けるプロセスを、顔の表情やリアルな緊張感とともに映像として公開したのです。
彼女がこの動画を公開した目的は、非常に明確で真摯なものでした。
婦人科検診は、多くの女性にとって心理的ハードルが高いものです。「痛いのではないか」「恥ずかしいのではないか」という不安から、受診を先延ばしにしてしまう人が後を絶ちません。彼女は自らの影響力と、自らの身体を使うことで、その「見えない密室の恐怖」を取り払い、「勇気を出して検診に行ってほしい」という啓蒙のメッセージを発信したのです。
空間社会学的な視点から見ても、これは極めて画期的な試みでした。
社会が「恥ずかしいもの」「隠すべきもの」として分厚いカーテンの向こう側に隔離してきた婦人科の診察風景を、彼女は自らの主体的な意思で白日の下に晒したのです。
「ここで行われていることは、女性が健康を守るための当たり前の医療行為であり、決して不必要に恥じるようなものではない」。その痛切なメッセージは、密室のタブーを解体しようとする、非常に勇気あるアクションだったと私は評価しています。
しかし、この彼女の切実な啓蒙に対し、社会(特にネット上のオーディエンス)はどのように反応したでしょうか。
動画のコメント欄やSNSでは、確かに「勇気をもらった」「検診に行こうと思った」という同性の声も多く上がりました。しかし同時に、彼女の意図とは全く異なる、下世話で冷酷な反応が大量に押し寄せたことも事実です。
「再生数稼ぎだ」「わざわざ動画にする必要がない」「性的なアピールにしか見えない」といった揶揄やバッシング。あるいは、純粋な医療行為を無理やりポルノ的な文脈で消費しようとする視線。
社会は、彼女が提示した「医療としてのフラットな身体」を、ありのまま受け止めることができませんでした。次回(後編)は、なぜ社会が彼女の啓蒙を正しく受け止められず、揶揄や消費に走ってしまったのか、その「社会の眼差しの歪み」について考察します。


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