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本ブログは、医療空間における権力構造や、そこに生じる心理的な嫌悪感・ざわつき等を分析・考察するものです。特定の医療機関や従事者を非難・攻撃するつもりはありませんが、記事の性質上、医療現場の生々しい実態や直接的な表現が含まれる場合があります。ご自身の心身の状況に合わせて、無理のない範囲で閲覧をご判断ください。詳しくはサイトポリシーをご一読ください。
こんにちは、御簾納です。
私たちがこれまで考察してきた婦人科の内診室は、メディアにおいて常に「隠蔽されるタブー」か「搾取されるエロティシズム」のどちらかであり、決して「笑い」に変換されることはありませんでした。今回は、この「婦人科の特異性(なぜ笑えないのか)」について、他の診療科と比較しながら浮き彫りにしてみたいと思います。
例えば、消化器科や肛門科の診察はどうでしょうか。
かつて、元宝塚のトップスターである女優の真矢みき氏が、テレビのトーク番組でご自身の壮絶な診察体験を語ったことがありました。
宝塚時代、公演中に突然激しい腹痛に襲われ、盲腸の疑いで病院に駆け込んだ時のこと。直腸診を受けることになった彼女は、診察台の上で四つん這いになり、お尻を高く突き出すという、ただでさえ極めて屈辱的な姿勢をとらされていました。そこに、あろうことか「臨床見学の若い研修医(医学生)たち」がぞろぞろと入室してきたというのです。
その無防備極まりない姿勢のまま医師に職業を聞かれ、誤魔化しきれずに「私は宝塚の女優で、今近くで公演中です」と正直に答えてしまったこと。なんと後日、その見学していた医学生たちがこぞって彼女の公演を観に来てしまい、舞台上から彼らの姿が見えてとてつもなく気まずかった……というオチまでついているのです。
元宝塚のトップスターという彼女の絶対的なパブリックイメージと、若い研修医たちに囲まれて無防備なお尻を覗き込まれた上に客席から見つめられるという、圧倒的に無力で滑稽な状況。彼女は持ち前のキャラクターと絶妙なトークスキルによって、この「絶望的な羞恥体験」を見事なエンターテインメントへと昇華させ、スタジオを爆笑の渦に巻き込みました。
しかし、ここで少し想像してみてください。もし彼女が語ったのが直腸診ではなく、「婦人科」での体験だったとしたらどうでしょうか。
パステルカラーの電動内診台で脚を大きく開かされ、膣鏡を挿入されている最中に、若い医学生たちがぞろぞろと入ってきて、自分の最もデリケートな部分を何人もの目で覗き込まれる。さらにその後日、彼らが自分の舞台を観に客席へやって来る……。 その生々しい体験を、いくら彼女が明るく語ったとしても、スタジオは決して笑うことはできないはずです。おそらく、言葉を失うか、あるいは「女性の尊厳に関わる痛ましい話を、あんな風に語るなんて」という困惑と、テレビ局への批判が殺到するでしょう。
なぜ、直腸診での「医学生による見学」は笑いにできても、婦人科でのそれは笑えないのか。
それは、直腸(肛門)という器官が「排泄」という、男女問わず全人類に平等に備わった「民主的でジェンダーレスな弱点」であるのに対し、婦人科が扱う女性の生殖器官は、極めて不均衡な「ジェンダーと権力のまなざし」に雁字搦めにされているからです。
直腸診での羞恥心は、人間がただの動物に過ぎないという「生物としての滑稽さ」に還元できます。だからこそ、複数人に囲まれるという異常事態や、その後の気まずい再会すら笑い飛ばす余地がある。
しかし、婦人科のパステルカラーの台の上で女性が剥奪されるのは、単なる羞恥心ではなく、「社会的な主体性そのもの」です。先日紹介した映画『ロマンスX』の医学生による内診シーンがそうであったように、あの密室は、女性が徹底的に「処理される物質(客体)」へと引きずり下ろされる、権力の非対称性の象徴です。
だからこそ、その事実を明るく笑い飛ばすことは、社会にとってあまりにも生々しく、不謹慎で、直視に耐えないタブーとして機能してしまうのです。
女性が内診台で強いられる無力感には、笑いが入り込む余地など1ミリもありません。
では、翻って私たち「男性」にとって、絶対に笑いに変えることのできない、絶望とタブーの医療空間とはどのようなものでしょうか。次回は、男性の身体の「笑えない現実」について考察します。


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