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本ブログは、医療空間における権力構造や、そこに生じる心理的な嫌悪感・ざわつき等を分析・考察するものです。特定の医療機関や従事者を非難・攻撃するつもりはありませんが、記事の性質上、医療現場の生々しい実態や直接的な表現が含まれる場合があります。ご自身の心身の状況に合わせて、無理のない範囲で閲覧をご判断ください。詳しくはサイトポリシーをご一読ください。
こんにちは、御簾納です。
最初の投稿では、伊香保での個人的な体験から「パステルカラーの内診台」に対する問題提起を行いました。今回からは、私たちの日常に潜む身近なところから、「隠す文化」の解剖に入っていきたいと思います。
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息抜きに愛車のバイクで、小田原・箱根方面へとツーリングに出かけた時のことでした。道中、目薬を買うためにふと立ち寄ったドラッグストアで、ある売り場のポップが目に留まりました。
「デリケートゾーンのケアに」
女性向けの専用ソープやクリームが並ぶ棚でした。日常的に見慣れたこの「デリケートゾーン」という言葉について、私たちは普段どれほどその異様さを意識しているでしょうか。
言うまでもなく、これは女性の生殖器周辺を指す言葉です。しかし、「性器」や「陰部」と直接的に呼ぶのは社会生活において生々しすぎるとされ、しばしば憚られます。かといって、日々のケアが必要な場所である以上、完全に無視することもできません。そこでマーケティング用語として広く定着したのが、この「デリケート(繊細な、壊れやすい)」というオブラートです。
この言葉は非常に巧妙です。「特別に優しく扱わなければならない場所」というニュアンスを持たせることで、社会的な摩擦を避けています。しかし、その本質は「命名による不可視化」に他なりません。輪郭を曖昧にすることで、社会は女性の身体の一部を、「日常から切り離された、触れてはならないタブーの領域」として固定化してしまったのです。
この言語による隠蔽構造は、婦人科の診察室に引かれた「カーテン」の役割と深くリンクしています。
言葉のベールで丁重に覆い隠され、日常の話題から遠ざけられたその「デリケート」な領域は、ひとたび診察室という空間に入ると、医療という名のもとに白日の下に引きずり出されます。普段、社会全体で過剰なまでに隠蔽しているからこそ、いざ医療現場でそれを露わにしなければならない時の精神的なショックと孤立感は、計り知れないものになります。
女性たちが抱える身体の悩みを「デリケート」という美しい箱に閉じ込め、不可侵の領域にしてしまうことは、一見すると配慮のように見えて、実は当事者から「声を上げる機会」を奪っているのではないでしょうか。
私たちが「デリケートゾーン」という言葉で過剰に隠そうとしているのは、女性の身体そのものではなく、「性と身体に向き合うことの気まずさ」という社会全体の未熟さなのかもしれません。この見えない言葉の壁を取り払い、もっとフラットに身体の構造や医療について語り合える土壌を作ることが、あの密室の孤独を和らげる第一歩だと私は考えています。


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