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本ブログは、医療空間における権力構造や、そこに生じる心理的な嫌悪感・ざわつき等を分析・考察するものです。特定の医療機関や従事者を非難・攻撃するつもりはありませんが、記事の性質上、医療現場の生々しい実態や直接的な表現が含まれる場合があります。ご自身の心身の状況に合わせて、無理のない範囲で閲覧をご判断ください。詳しくはサイトポリシーをご一読ください。
こんにちは、御簾納です。
前回は、女性の婦人科診察が持つ「笑いに変換できない生々しい権力性」について語りました。では、男性にとっての「絶対に笑えない、隠蔽すべき医療行為」とは何でしょうか。
男性の身体における最大のタブー。それは「男性としての力強さ(パワー)」が不可逆的に失われる瞬間です。
かつて私が伊香保にある、性と命の歴史を展示する私設ミュージアムを訪れた時のことです。そこには様々な医学的資料が展示されていましたが、私の足をもっとも強く釘付けにしたのは、ある「前立腺がんの手術のビフォーアフター写真」でした。
そのアフター写真に写っていたのは、がんの摘出や神経への影響によって勃起という機能を完全に喪失し、力なくうなだれた男性器です。そしてその写真の横には、患者本人のものと思われる「男として終わった」という、血を吐くような悲痛なコメントが添えられていました。
あの写真が放っていた絶対的な悲壮感と絶望感。そこには、男性社会が拠り所としている「男のプライド(生殖能力・支配力)」が完全に崩壊し、無化された現実がありました。
この展示をきっかけにシモの医療空間に関心を持った私は、先日、ネット上で公開されている前立腺肥大症の標準的な手術「TURP(経尿道的前立腺切除術)」の映像を観察しました。
誤解のないように医学的な事実を補足しておきます。前立腺肥大症は高齢者の病気と思われがちですが、実際には40代や50代といった、まだ男性としての自尊心が現役で重要な世代でも、生活の質(QOL)向上のために手術適応となるケースは珍しくありません。
また、日本泌尿器科学会等の見解によれば、このTURP手術によって器質的なED(勃起障害)になるリスクは数%程度と低く、手術後の性欲減退との因果関係も不明確であるとされています。しかし一方で、射精時に精液が膀胱側へ逆流してしまう「逆行性射精」が高確率(過半数以上)で発生するなど、生殖機能の「仕組み」が医療の手によって不可逆的な改変を受けるリスクを伴う手術でもあります。
私が空間社会学の視点から着目したのは、そうした医学的機能の問題以上に、その映像が映し出す「客観的な構図」が持つ、徹底した【客体化のプロセス】でした。
手術の性質上、カメラはどうしても男性器そのものを真正面から映し出します。そこには、男性性の象徴としての力強さなど微塵もありません。
特殊な無機質の金属器具によって尿道口が開かれ、そこから内視鏡が挿入され、モニター越しに、肥大した前立腺組織が電気メスで淡々と切除されていくのです。
器具を受け入れるために開かれた尿道口から醸し出されるのは、普段の社会で誇示される男のプライドではなく、医療システムによって管理・処置されるただの「管(ルート)」へと還元された肉体の現実でした。
バラエティ番組などで、男性が下半身のトラブルを自虐的に笑いを取るシーンは存在します。しかしそれは、「最終的なパワー(機能)」や「人間としての尊厳」が担保されているという安全圏からの余裕がある時に限られます。
前立腺がんによる機能喪失への根源的な恐怖や、TURP手術に見る「自らの象徴がただの肉の管として無機質に処理される」という絶対的な客体化。方向性は違えど、女性が婦人科の内診台で強いられる客体化と、男性がシモの医療で直面する視覚的な現実は、どちらも「社会的なジェンダーの鎧を完全に剥ぎ取られ、ただの無力な肉のパーツへと還元される」という点において、私たちの根源的な恐怖を刺激してやまないのです。


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