【No.020】海を越えた内診室(後編)――「羞恥心」を隠す日本、「尊厳」を守る欧米

海外・比較文化論

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本ブログは、医療空間における権力構造や、そこに生じる心理的な嫌悪感・ざわつき等を分析・考察するものです。特定の医療機関や従事者を非難・攻撃するつもりはありませんが、記事の性質上、医療現場の生々しい実態や直接的な表現が含まれる場合があります。ご自身の心身の状況に合わせて、無理のない範囲で閲覧をご判断ください。詳しくはサイトポリシーをご一読ください。

こんにちは、御簾納です。

前回の続きとして、日本と欧米の婦人科における「思想の違い」について考察します。

カーテンがなく、目線を合わせながら対話ベースで診察が進む欧米のスタイル。これを聞いて、多くの日本の女性は「顔を見られながら診察されるなんて、恥ずかしくて絶対に耐えられない!」と感じるかもしれません。

その感覚は、日本の文化圏においてごく自然なものです。

日本の医療は、女性の「恥ずかしい」という心理的苦痛を、いかにして視覚的にごまかし、やり過ごすかという一点において、独自の進化を遂げてきました。「顔が見えなければ、自分がそこで処置されているという事実を(一時的に)切り離すことができる」。この「気まずさの隠蔽」こそが、カーテンという日本独自のシステムが発明された最大の理由です。

しかし、欧米の医療は「羞恥心をごまかすこと」よりも、「患者が密室で恐怖や無力感を感じないこと(尊厳の担保)」を最優先に設計されています。

その象徴が、欧米の婦人科で広く取り入れられている「シャペロン(Chaperone:付き添い人)」の制度です。

欧米では、特に男性医師が女性患者の診察を行う際、必ず第三者である女性看護師などが同席することが強く推奨(あるいは義務化)されています。これは、密室における権力の暴走(セクシャルハラスメントや不適切な医療行為)を防ぎ、患者を絶対的に守るためのシステムであり、同時に医師自身を冤罪から守るためのシステムでもあります。

日本ではどうでしょうか。第三者の同席が厳格なシステムとして義務付けられているわけではないため、状況によってはカーテンを挟んで医師と二人きりになる密室が成立し得る構造になっています。日本は、物理的な「目隠し(カーテン)」を一枚垂らすだけで、その背後に生じる圧倒的な権力勾配や、密室の密室たる危険性については、驚くほど無防備なまま放置しているのです。

日本が選んだ「恥を隠すためのシステム(顔を隠し、機械に身を委ねる)」は、短期的には患者の精神的負担を和らげる効果があるかもしれません。しかし長期的には、女性たちから「自分の身体について医師とフラットに対話する権利」を奪い、医療に対して受け身で従属的な態度を内面化させてしまっています。

「顔が見えないから安心」という日本のカーテンは、患者を守る防壁であると同時に、患者を「声なきモノ」として閉じ込める檻でもあります。

私たちは、欧米のスタイルをそのまま真似る必要はありません。文化的な羞恥心のあり方は国によって違うからです。しかし、「恥ずかしさを隠すために、知らず知らずのうちに自分自身の尊厳と身体の主導権まで手放してしまっていないか」という問いには、真摯に向き合う必要があるはずです。

医療における「優しさ」とは、目を逸らしてあげることなのか。それとも、真っ直ぐに目を見て「あなたの身体の主役はあなた自身だ」と保証してあげることなのか。

海を越えた内診室の違いは、私たちにそんな根源的な問いを投げかけています。

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