【No.034】もう一つの「開かされる」椅子――歯科診療台と内診台の奇妙な符合

空間と装置

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本ブログは、医療空間における権力構造や、そこに生じる心理的な嫌悪感・ざわつき等を分析・考察するものです。特定の医療機関や従事者を非難・攻撃するつもりはありませんが、記事の性質上、医療現場の生々しい実態や直接的な表現が含まれる場合があります。ご自身の心身の状況に合わせて、無理のない範囲で閲覧をご判断ください。詳しくはサイトポリシーをご一読ください。

こんにちは、御簾納です。

過去数回にわたり、内診の見学という非常に重く、息苦しいテーマを扱ってきました。今回は少しだけ視点を日常に引き戻し、空間社会学の観点から「ある別の身近な医療空間」との比較という、少しライトな思考実験(箸休め)をしてみたいと思います。

皆さんは、歯医者の診察台(デンタルチェア)に座った時のことを想像してみてください。

スイッチ一つで背もたれが倒れ、強制的に仰向けの無防備な姿勢にされる。

口という「穴」を、自分の意思に関わらず大きく開け続けることを要求される。

顔には水はね防止や眩しさ対策という名目でタオルがかけられ、視界を奪われる。

そして、目隠しをされた状態のまま、他人の手によって金属の器具が次々と挿入され、ウィーンというモーター音や、カチャカチャという金属音が響き渡る。治療中はまともに声を出すことも、物理的に抵抗することもできません。

さて、お気づきでしょうか。

この物理的なプロセスと空間構造は、これまで私たちが散々考察してきた「パステルカラーの内診台」と、驚くほど完全に一致しているのです。

視界の遮断(タオルとカーテン)、穴の開示、金属器具の挿入、モーター音、そして強制的な無力状態。人間を「処理しやすい状態」に固定するという点において、実は歯医者と婦人科は全く同じシステムを採用しています。

しかし、ここからが重要なポイントです。

歯医者に行って「痛い」「怖い」「行きたくない」と感じることはあっても、自分の人間としての尊厳が根底から剥ぎ取られ、絶望的な屈辱感や、モノとして扱われることへの深い苦痛を味わう人はほとんどいません。

物理的には同じように無防備に「開かされている」のに、なぜ婦人科の内診台だけが、これほどまでに異常な恐怖と羞恥を伴うのでしょうか。

その答えは、医療システムそのものにあるのではなく、社会がその部位に押し付けている「意味」の決定的な違いにあります。

口は、食事や会話を行うための、全人類に共通する極めて「民主的でジェンダーレスな器官」です。そこには何のタブーもありません。

一方で女性の生殖器官は、歴史的に「男性社会の権力」「家父長制における生殖の管理」、そして「性的なまなざしの搾取」によって雁字搦めにされてきた、極めて特異で重たい意味を持つ器官です。

つまり、女性たちが内診台で真に怯え、傷ついているのは、脚を開かされるという「物理的な行為」そのものに対してではありません。その行為の背後にまとわりついている、男性社会の歪んだ「まなざしの歴史」に怯えているのです。

歯医者の顔にかかるタオルと、内診室の下半身を覆うカーテン。

どちらも同じ「視界を遮る布」でありながら、その布が隠しているものの重さは、天と地ほども異なります。

同じような空間構造を比較することで、見えない社会のバイアスが浮き彫りになる。たまにはこうした視点で日常の空間を見直してみるのも、空間社会学の面白さの一つです。

少し長めの箸休めとなりましたが、次回からは再び、残された重要なテーマへと深く切り込んでいきたいと思います。

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