【No.012】シュレディンガーの密室(中編)――同情の声と、「自意識過剰」という二次加害

空間と装置

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本ブログは、医療空間における権力構造や、そこに生じる心理的な嫌悪感・ざわつき等を分析・考察するものです。特定の医療機関や従事者を非難・攻撃するつもりはありませんが、記事の性質上、医療現場の生々しい実態や直接的な表現が含まれる場合があります。ご自身の心身の状況に合わせて、無理のない範囲で閲覧をご判断ください。詳しくはサイトポリシーをご一読ください。

こんにちは、御簾納です。

前回の続きです。内診中に医師に突然カーテンを開けられ、顔と下半身を見下ろされたという女性インフルエンサーの告発について考えています。

彼女がYouTubeでこの恐怖と不快感を打ち明けた際、ネット上では多くの反響が巻き起こりました。その多くは、「それは怖すぎる」「トラウマになるのも当然だ」「私も似たような不快な経験がある」という、彼女に寄り添い、同情する声でした。これほど多くの女性たちが即座に共感を示したという事実自体が、あの密室がいかに潜在的な恐怖を孕んだ場所であるかを証明していると言えます。

しかし、私がここで見過ごしてはならないと思うのは、そうした温かい同情の声の影で、一部の層から投げつけられた「心無いバッシング」の存在です。

彼女の悲痛な訴えに対し、一部の人々はこう言い放ちました。

「医者は毎日何十人もの身体を見ているんだから、いちいち性的な関心など持たない」「ただ顔色や表情を確認しただけだろ」「自分を特別な女だと勘違いしている、自意識過剰だ」と。

なぜ彼らは、恐怖を訴える一人の女性に対して、これほどまでに冷酷な言葉を投げつけることができたのでしょうか。彼らが振りかざしたロジックは、常に「医療という聖域」を盾にしています。

彼らが必死に守りたかったのは、「医療の現場には、権力的なまなざしや不快な視線など絶対に存在しない」という、社会にとって都合の良いファンタジーです。

もし彼女の訴えを真正面から受け止め、「確かにあの密室では、医療行為の枠を超えた権力的なまなざしの暴走が発生し得る」という事実を認めてしまったら。白衣という聖なるベールは剥がれ落ち、女性たちが無防備に客体化されているというグロテスクな現実を社会は直視しなければならなくなります。

だからこそ、非当事者である彼らは「医者に不純な意図などあるはずがない、お前の自意識過剰だ」と被害者の感覚そのものを否定し、問題を矮小化しようとしたのです。

「私が何とも思っていないのだから、お前も気にするな」という強者の論理は、被害者の精神的な痛みを「ノイズ」として切り捨てます。

どれほど多くの同情の声があったとしても、この「自意識過剰」という刃がたった一つでも振り下ろされるとき、それは強烈な二次加害として機能します。「もし私が密室で不快な思いをしても、声を上げれば『勘違いした自意識過剰な女』として嘲笑されるかもしれない」。そう学習させられ、多くの女性たちが再び口をつぐんでしまうのです。

一部の心無いバッシングと、医療の絶対的な建前。これらが結託することで、あの内診台のカーテンはより一層分厚くなり、誰も干渉できない「完璧な密室」が守られ続けています。

次回(後編)は、いよいよ核心に触れます。誰がどう擁護しようと、結局のところ、あの医師はなぜ「わざわざカーテンを開けた」のか。その深層心理について、私自身の「ある自問自答」を交えて語りたいと思います。

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