【No.093】漂白される日本と、無力化される密室 —— ドラマ版『戦慄の絆』が暴く「2つの生々しさ」

メディアと表象

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こんにちは、御簾納です。

前回はクローネンバーグ監督の『ザ・フライ』にまつわる内診台の裏話をお話ししましたが、今回はそのクローネンバーグの代表作が現代に蘇った作品について語らせてください。

夜更けに動画配信サービスを眺めていて、思わず手を止めて一気見してしまった、2023年配信のドラマ版『戦慄の絆(Dead Ringers)』です。  

1988年のオリジナル映画版は、双子の男性産婦人科医が女性の身体を「解明・支配すべき迷宮」として見つめるサイコスリラーの傑作でした。

さて、現代のドラマ版について語る前に、少しだけ「日本のメディアにおける身体の描かれ方」の変遷についておさらいしておきましょう。(また理屈っぽいスイッチが入ってしまいますが、お付き合いください)。  

映像作品における「生々しさ」には、大きく分けて2つの種類が存在すると私は考えています。

ひとつは、「出血や、クスコ(膣鏡)などの金属器具そのもの」という物理的な生々しさ。

もうひとつは、「女性が診察台で脚を開かされ、主導権を奪われている状況・姿勢」という権力的な生々しさです。  

かつての日本の映像作品は、この後者の「姿勢の生々しさ」からも逃げませんでした。たとえば1990年公開の映画『良いおっぱい悪いおっぱい』では、内診台に乗せられた女性の股間を覗き込む医師に対し、母親が「ジロジロ見ないで」と防衛線を張るシーンがごまかしなく描かれていましたよね。  

しかし、現在の日本の医療ドラマはどうでしょう。前者の「血や器具」は手術シーンとして残っても、後者の「脚を開かされて無力化されている描写」は画面から完全に消え去りました。

理由は明白です。女性が絶対的に無力化されている姿を映すことは、どうしても「性的なまなざし(覗き見趣味)」を喚起してしまったり、「女性を辱めている」という批判を招いたりするからです。制作陣は放送倫理への対応や炎上リスクを面倒がり、臭い物に蓋をするように、内診室を「エコー画面を見つめる感動的な空間」へと綺麗に漂白(サニタイズ)してしまったわけです。  

そんな「漂白病」に感染した私たちが、この2023年のドラマ版『戦慄の絆』を観ると、あまりのコントラストに激しいショックを受けます。  

今回のドラマ版の最大の改変は、主人公の双子の医師を「男性から女性(レイチェル・ワイズ)」へとジェンダースワップしたことです。

では、医者が女性になり「男の性的なまなざし」が消えたことで、あの診察室は安全で美しいファンタジーになったのでしょうか?  

答えは、圧倒的な「NO」です。  

このドラマは、日本のメディアが面倒がって隠蔽した「後者の生々しさ(脚を開かされ、主導権を奪われる描写)」から、絶対にカメラを逸らしません。

あぶみ(足乗せ台)に脚を乗せ、下半身を無防備に開いて横たわる患者の姿。そしてその間で、金属器具を操作する医師の冷徹な視線。  

私はかつて、Sさんから「男の性的な視線がある限り、この密室は安全にならない」と論破され、敗北を認めました。空間の暴力の根源は「男のまなざし」にあるのだと。

しかし、このドラマはさらにその先にある『二重の地獄』を突きつけてきます。男のエロティシズムやノイズが完全に削ぎ落とされたからこそ、「内診台で脚を開かされるという物理的な姿勢そのものが、いかに人間の尊厳を奪い、絶対権力(医療システム)の前に無力な『モノ』へと還元してしまうか」という、空間が持つ純粋な暴力性が、より残酷なまでに浮き彫りになっているのです。  

女性医師であっても、患者を「実験台」や「目的のためのパーツ」として平然と見下ろし、コントロールする。男のまなざしが消えれば空間は安全になると思っていたのに、そこには「医療システムという権力そのものの暴力性」が手つかずのまま残っていたのです。  

35年の時を経て、『戦慄の絆』の双子は性別を変えましたが、医療権力がいかに女性の身体を客体化し、消費していくかという本質的な狂気は全く変わっていませんでした。むしろ、男のまなざしというわかりやすい悪意が消えたことで、その狂気はより逃げ場のないものへと進化しています。  

日本の事勿れ主義の漂白に慣れきってしまった人にとって、このドラマ版は猛毒かもしれません。しかし、社会がひた隠しにしている「現実の権力構造」を直視するための強烈な解毒剤として、たまにはこうした作品で目を覚ましてみるのも悪くないと思います。  

それではまた、次のふとした違和感の前で、お会いしましょう。

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