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本ブログは、医療空間における権力構造や、そこに生じる心理的な嫌悪感・ざわつき等を分析・考察するものです。特定の医療機関や従事者を非難・攻撃するつもりはありませんが、記事の性質上、医療現場の生々しい実態や直接的な表現が含まれる場合があります。ご自身の心身の状況に合わせて、無理のない範囲で閲覧をご判断ください。詳しくはサイトポリシーをご一読ください。
こんにちは、御簾納です。
前回、性器の美容整形において女性たちが「清潔」という強力な言い訳を必要とすることについて書きました。しかし、この羞恥心を巡って、私のノートにはとてつもなく巨大な矛盾(パラドックス)が書き留められています。
純粋な医療行為である婦人科の内診は、女性たちにとって極限の羞恥心を伴う密室の出来事であり、「絶対に知られたくない秘密」としてひた隠しにされます。
しかしその一方で、SNSや個人のブログを少し検索すれば、より生々しく性的な美醜に関わるはずの「性器の美容整形(小陰唇縮小など)」については、自ら『やってよかった』と積極的に体験記を発信している女性が数多く存在します。美容外科のサイトには、実際の施術動画や無修正の生々しいビフォーアフター写真すら堂々と掲載されています。
男の私からすれば、「医療としての内診よりも、自分の性器を切り刻んで形を整える美容外科のビフォーアフターを世間に晒す方が、はるかに恥ずかしくないのか?」と、強烈な疑問が湧き上がります。なぜ彼女たちは、この領域においてだけ自らの秘部をあっさりと「オープン」にしてしまうのでしょうか。
この強烈な『恥じらいのパラドックス』を解く鍵は、女性が置かれている立場の逆転にあります。
婦人科(医療)において、女性は徹底的に「受動的な患者」です。まな板の上の鯉のように股を開かされ、権力者からジャッジされる。そこには自己決定権がなく、自らのブラックボックスを他者に明け渡すことへの恐怖と屈辱(=羞恥心)しかありません。
しかし、美容外科において、女性は「能動的な消費者」へと切り替わります。自らの意志で大金を払い、コンプレックスだった部位をデザインし、理想の形を買い取るのです。SNSで発信される体験記は、不完全な自分を克服したという『勝利宣言(エンパワーメント)』として機能しています。
かつてこのブログの初期(【No.036】)で、私はアンダーヘア処理の悩みとVIO脱毛を引き合いに出し、「女性は『消費者』になれば主体性を取り戻し、恥ずかしくなくなるのだ」と結論づけました。不完全な自分を克服したという『勝利宣言(エンパワーメント)』なのだと。
しかし、本丸の研究を進めている今、私はその分析があまりにも資本主義の表面しか見ていなかったことに気づかされます。
彼女たちは本当に「主導権(コントロール)」を取り戻したのでしょうか。
そもそも、「その形が不完全である(美しくない、不潔だ)」というコンプレックスを彼女たちに植え付け、課金させているのは誰なのか。それは紛れもなく、ポルノグラフィや男性社会が勝手に作り上げた『架空の理想像(ルッキズム)』です。
つまり彼女たちは、消費者として主体的に美しさを買っているように見えて、実は「男社会が定めた正解の形」に自らの身体を適合させるために課金させられているに過ぎません。
SNSでのオープンな発信は、完全な勝利宣言ではなく、「ようやく社会の合格点に到達できた」という強烈な自己肯定の裏返しでもあるのです。
病気は隠すのに、整形は語る。
「消費者になれば自由になれる」という資本主義の罠が、女性の身体をさらなる見えない檻に閉じ込めている。このバグのような現象は、女性たちが医療権力と資本主義という二重の罠に絡め取られている残酷な現実を証明しています。
それでは、また気が向いた時に。


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