【No.056】消えないエロティシズムの呪縛 —— 女は『ちくわ』になれない

社会とジェンダー

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本ブログは、医療空間における権力構造や、そこに生じる心理的な嫌悪感・ざわつき等を分析・考察するものです。特定の医療機関や従事者を非難・攻撃するつもりはありませんが、記事の性質上、医療現場の生々しい実態や直接的な表現が含まれる場合があります。ご自身の心身の状況に合わせて、無理のない範囲で閲覧をご判断ください。詳しくはサイトポリシーをご一読ください。

こんにちは、御簾納です。

男の性器は、機能を失い医療のまなざしに晒された瞬間、かくもあっさりと無表情な「チクワの穴」になってしまいます。では、女性の身体はどうなのでしょうか?

TURPの生々しい手術映像を見終わった後、妻がふと「これの女性版の映像ってないの?」と聞いてきました。

「前立腺は男にしかない器官だから、同じような映像はないよ」

私がそう答えると、妻は婦人科という空間が抱える最大の病理を突く、恐ろしい一言を放ちました。

「そっか。でも、もし女性版の映像があったとしても、結局ただのエロ動画になっちゃうよね」

「男のチクワの穴には何の感情もないけれど、女性器にはこういうときでも、何かの表情がありそう。エロさが出るってことは」

この言葉を聞いたとき、私は背筋が凍るような思いがしました。そしてこれは、あの内診室での対話を終えた後、Sさんが私に突きつけてきた「暫定結論」と完全に一致していたのです。

『女性がどれほど自分を殺して無機質な検体になりきろうとしても、男の視線がある限り、絶対にそれは成立しない。マンコはどこまで行ってもマンコであって、それ以上でもそれ以下でもない』

私はかつて、このブログで「本物の内診はモノ扱いされすぎてエロティシズムが消えるため、AVとしては成立しなかった」と書きました。しかし、それは圧倒的な間違いだったのです。

ポルノが成立しなかったのはエロティシズムが消えたからではありません。男のまなざしが、病で苦しむ女性の身体にすら勝手に「エロティシズムの表情」を強要し、搾取してしまうという、あまりにも生々しくグロテスクな暴力性が剥き出しになりすぎて、見る側(男)が直視に耐えられなかっただけなのです。

女性の身体は、どれほど病気で苦しんでいても、内診台の上でクスコで物理的に切り開かれていても、決してただの無機質な「チクワ(生肉)」になることすら許されません。男という生き物がそこにいる限り、あるいは社会の加害的なまなざしが内面化されている限り、それはどこまで行っても消えないエロティシズムの呪縛(消費の視線)に晒され続けなければならないのです。

たとえ全身麻酔をかけられ、導尿カテーテルを挿入されている無意識の状態でさえ、女性の身体には男のまなざしがへばりつき、勝手に「エロティシズムの表情」を強要されます。

男は無力になれば、「ただの無害で無機質なモノ」として放り出される自由(特権)を獲得できます。しかし女性は、自らの身体のコントロール権を奪われた無力な「客体」にされながら、同時に「エロティシズムの対象」であり続けるという、二重の非対称な暴力を空間から受け続けているのです。

これこそが、あの分厚いカーテンの向こう側で起きている絶望的な構造の正体だったのです。

「ただのモノ」にすらなれない女性たち。その事実を前にして、私はついに、空間社会学者として最後に出さなければならない「ひとつの決断(結論)」へと追い詰められていました。

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