【No.056】消えないエロティシズムの呪縛 —— 女は『ちくわ』になれない

社会とジェンダー

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本ブログは、医療空間における権力構造や、そこに生じる心理的な嫌悪感・ざわつき等を分析・考察するものです。特定の医療機関や従事者を非難・攻撃するつもりはありませんが、記事の性質上、医療現場の生々しい実態や直接的な表現が含まれる場合があります。ご自身の心身の状況に合わせて、無理のない範囲で閲覧をご判断ください。詳しくはサイトポリシーをご一読ください。

こんにちは、御簾納です。

前回、私は宿題を残しました。TURPの映像は笑えて、内診の映像は笑えない。その差が何なのかを、次回考えてみます、と。

考える必要はありませんでした。答えは、向こうからやってきたからです。

TURPの映像を見終わった後、妻がふと、こう聞いてきたのです。

「これの女性版の映像ってないの?」

私が心の中で組み立てていた思考実験を、彼女は五秒で口に出しました。

「前立腺は男にしかない器官だから、同じような映像はないよ」

私がそう答えると、妻は婦人科という空間が抱える最大の病理を突く、恐ろしい一言を放ちました。

「そっか。でも、もし女性版の映像があったとしても、結局ただのエロ動画になっちゃうよね」

「男のチクワの穴には何の感情もないけれど、女性器にはこういうときでも、何かの表情がありそう。エロさが出るってことは」

この言葉を聞いたとき、私は背筋が凍るような思いがしました。そしてこれは、Sさんが私に突きつけてきた「暫定結論」と、同じことを言っていたのです。

『女性がどれだけ自分を殺して「ただの無機質な検体」になりきろうとしても、男のエロい視線がある限り、絶対にそれは成立しない』

——ただし、妻の一言には、それだけでは済まない部分がありました。

私はかつて、このブログの【No.037】で、まったく逆のことを書いています。

あの回で私は、AV制作の関係者から聞いた話を紹介しました。婦人科の内診は、ポルノとして成立しなかった、という話です。人間のあらゆる恥部を商品にする業界が、あの密室だけは商品にできなかった。

妻は「エロ動画になる」と言い、業界は「ならなかった」と言っています。

正面から食い違っています。

そして、この食い違いを前にして、私はもっと嫌なことに気づきました。

【No.037】で私は、「なぜ成立しなかったのか」の理由も書いています。極限までシステマチックに人間性を排除した冷酷で機械的な現実が、ポルノのファンタジーをフリーズさせたのだ、と。

——業界の人は、そこまで言っていません。

彼が言ったのは、成立しなかった、という事実だけです。理由は、私が埋めました。

そして私が埋めた説明は、私がそれまで主張してきたことと、きれいに一致しています。空間のシステムが人間性を排除する。まさに、私が何十話もかけて書いてきた論そのものです。

聞いた話の空白に、自分の持論を流し込んで、裏付けが取れたことにしていた。

妻の一言が示したのは、別の可能性でした。エロティシズムが消えたから成立しなかったのではなく、消えなかったから成立しなかったのかもしれない、という可能性です。

どちらが正しいのかは、分かりません。確かめる方法もありません。

分かるのは、私が一度、確かめずに答えを書いたということだけです。

——それでも、一つだけ、確実に言えることがあります。

男の性器は、機能を失って医療のまなざしに晒された瞬間、無表情な「チクワの穴」になります。前回、妻はそれを見て笑いました。笑えるということは、そこにもう何も乗っていないということです。

女性の身体は、そうなりません。

これはSさんの結論から導けます。彼女は「女性がどれだけ自分を殺して検体になりきろうとしても成立しない」と言いました。裏を返せば、成立しない原因は、彼女の側の努力の不足ではないということです。

だとすれば、彼女がどれだけモノに近づいても、結果は変わりません。病気で苦しんでいても。器具で切り開かれていても。極端に言えば、全身麻酔をかけられ、意識が完全に失われていても。

彼女が何をしようと、何をやめようと、成立しない。彼女の努力の問題ではないからです。

男は、無力になれば、「ただの無害で無機質なモノ」として放り出されます。それは屈辱ですが、同時に、一つの自由でもあります。もう誰の欲望の対象でもなくなるという自由です。

女性には、その出口がありません。

自らの身体のコントロール権を奪われた無力な客体にされながら、同時に、エロティシズムの対象であり続ける。二つを同時に背負わされたまま、降りることができない。

これが、あのカーテンの向こう側で起きている構造だったのだと思います。

「ただのモノ」にすらなれない女性たち。

その事実を前にして、私はついに、空間社会学者として最後に出さなければならない「ひとつの決断」へと追い詰められていました。

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