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本ブログは、医療空間における権力構造や、そこに生じる心理的な嫌悪感・ざわつき等を分析・考察するものです。特定の医療機関や従事者を非難・攻撃するつもりはありませんが、記事の性質上、医療現場の生々しい実態や直接的な表現が含まれる場合があります。ご自身の心身の状況に合わせて、無理のない範囲で閲覧をご判断ください。詳しくはサイトポリシーをご一読ください。
こんにちは、御簾納です。
ネットの医療コラムを読んでいると、「おしっこをした後の拭き方」や「お風呂での正しい洗い方」が、大人の女性に向けて極めて真面目に指導されているのをよく見かけます。
手元のノートを開くと、私はこの現象について、ある違和感を書き留めていました。
これらは本来、幼少期に身につくべき初歩的な排泄ケアのはずです。なぜ、大人の女性たちがわざわざ専門医からこんなことまで教わらなければならないのでしょうか。
背景には、社会が女性器に対して強いてきた狂気的なまでの「タブー視と抑圧」があります。女の子は幼い頃から「触っちゃダメ」「恥ずかしいから隠しなさい」と厳格に抑圧され、名前すら曖昧にボカされ続けます。その結果、自分の身体の構造が分からない「ブラックボックス」になってしまうのです。構造が分からなければ、正しいケアの方法も分かりません。
「専門医が指導して何が悪いのか。耳鼻科医が正しい耳掃除の仕方を指導するのと同じではないか」という声もあるでしょう。
しかし、この二つには決定的な断絶があります。
耳掃除の指導は「物理的な機能の維持」という純粋な医療目的です。しかし、婦人科における汚れや匂いのケア指導には、「性生活におけるエチケット」や「女性らしい清潔感」という、極めて重々しいジェンダー的・性的な価値観がべっとりと癒着しているのです。
女性器が汚れていることは、「だらしない女だ」という人格やセクシュアリティへの致命的な烙印に直結しかねない社会的なプレッシャーがあります。だからこそ、白衣を着た医師が内診台の上で洗い方を指導するとき、そこには「男社会が要求する理想の清潔状態を採点する検閲官」のようなグロテスクな権力構造が立ち上がってしまいます。
耳の穴とは違い、股の間は常に社会の欲望とジャッジに晒されています。そのジャッジの恐怖があるからこそ、女性たちは自らの最もプライベートな排泄や洗浄の方法について、他者からの指導を甘んじて受け入れてしまう。大人の女性たちが拭き方を教わる背景には、そんな歪んだプレッシャーが隠されているようです。
それでは、また気が向いた時に。


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