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本ブログは、医療空間における権力構造や、そこに生じる心理的な嫌悪感・ざわつき等を分析・考察するものです。特定の医療機関や従事者を非難・攻撃するつもりはありませんが、記事の性質上、医療現場の生々しい実態や直接的な表現が含まれる場合があります。ご自身の心身の状況に合わせて、無理のない範囲で閲覧をご判断ください。詳しくはサイトポリシーをご一読ください。
こんにちは、御簾納です。
先日、健康診断で腹部エコーを受けました。
技師さんが冷たいゼリーを塗って、探触子をぐりぐりと押し当てていきます。ときどき力が強くて、うっ、と声が出そうになる。そして画面を見ながら、ぽつりと言うわけです。
「んー」
これが困ります。
「んー」とは何なのか。何かあったのか。何もないのか。聞きたいのですが、真剣な顔で画面を睨んでいる人に「今の『んー』は何ですか」とは、なかなか聞けません。仕方がないので黙って天井を見ています。
しばらくして、「はい、終わりです。特に問題ないですね」と言われました。
いや、待ってください。あの「んー」は何だったんですか。
このときの、なんとも言えない居心地の悪さについて考えていて、ふと気づいたことがあります。あのモニターは、私の方を向いていませんでした。
自分の身体の中を映している画面なのに、私からは見えない位置にある。見えているのは技師さんだけで、私はその人の表情と声だけを頼りに、自分の内臓の状態を推測している。
つまり私は、自分の肝臓について、他人経由でしか知ることができないわけです。
さて、ここからが本題です。
内診台の場合、これがもう一段ひどいことになります。
女性は視界をカーテンで塞がれ、脚を固定され、動けません。そこへ、向こう側から声だけが飛んできます。
「あー、ここに少しポリープがありますね」
「左の卵巣が腫れています。少し痛いですよ」
自分の身体の中で起きていることを、自分では確認できない。医師の声を通してしか、自分の状態を知ることができない。私が「んー」で不安になっていたのと同じ構造ですが、あちらは脚を開いて固定された状態でそれをやられます。
これはもう、腹話術のようなものではないでしょうか。
人形は口を動かしません。声はすべて、術者の方から出てきます。「痛いですか」「ここに異常がありますよ」。身体は自分のものなのに、それについて語る声は、全部向こう側にある。
Sさんは以前、電動内診台に脚を開かれるときの感覚を「自分から身体のコントロール権を取り上げられたな、って感じる」と話していました。あれは装置の話でしたが、どうやらコントロール権の没収は、そこで終わっていないようです。
脚の自由が機械に取り上げられ、視界がカーテンに取り上げられ、最後に、自分の身体について語る言葉まで取り上げられる。
三段構えです。よくできています。
もっとも、ここまで書いておいて言うのもなんですが、実際のところ医師の側にも事情はあるのだろうと思います。
エコーの画面というのは、素人が見ても何がなんだか分かりません。私も一度、モニターを覗き込んだことがありますが、灰色のもやもやが揺れているだけで、どこからどこまでが自分の臓器なのかすら判別できませんでした。あれを見せられて「はい、これがあなたの卵巣です」と言われても、たいていの人は困るだけでしょう。
それに、見せた結果として「これは何ですか」「これも何ですか」と質問攻めになれば、診察は永遠に終わりません。待合室には次の患者が詰まっています。
ですから、モニターがこちらを向いていないことには、それなりの合理性があるわけです。
ただ、合理的だからといって、居心地が良くなるわけでもありません。
私は「んー」の一言で天井を見上げるはめになりましたが、あれが自分の身体の、しかも一番見られたくない場所についての「んー」だったとしたら、天井どころではないだろうな、とは思います。
それでは、また気が向いた時に。


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