【No.104】アニメと内診台 —— 「動く」からこそ見えてくる、映像メディアの苦悩とリアル

メディアと表象

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こんにちは、御簾納です。

「デリケートゾーン」という言葉の壮大な迷走について語り尽くしたところで、再びメディアにおける婦人科の描かれ方に視点を戻してみたいと思います。  

以前、妊活エッセイや『透明なゆりかご』などを例に、漫画における診察シーンの描かれ方について考察しました。漫画という媒体は、無人の内診台やヒロインの表情を「一枚絵(静止画)」として切り取ることで、読者の心に強烈なざわつきを生み出していましたよね。  

しかし、これが「アニメーション(映像)」となると、話は全く変わってきます。

なぜなら、アニメには漫画にはない「動き」と「時間」、そして「音」が存在するからです。  

漫画であれば、ヒロインが内診台に乗っている場面を「足元からのアングル」や「顔のアップ」の1コマだけでスパッと表現し、あとは読者の想像力に委ねることができます。

しかしアニメの場合、真正面から描こうとすると、あの「ウィーンというモーター音とともに椅子が上昇し、自動的に脚が開かれていく過程」を、連続した動きとして描写しなければなりません。  

これ、制作陣にとってめちゃくちゃハードルが高い作業なんです。

リアルな動きをつけてしまうと、どうしても生々しさやエロティシズム(あるいは医療的な生々しさ)が強調されすぎてしまい、一般向けのアニメ作品としてはテレビの放送コードや視聴者の嫌悪感に引っかかるリスクが高まるからです。  

そのため、アニメにおける婦人科の診察シーンは、大きく2つのパターンに分かれます。  

パターン①:徹底的なオブラート(顔面アップとカットアウト)

最も一般的なのがこの手法です。主人公が診察室に入り、医師と話すところまでは描かれます。しかし、いざ内診台に乗る瞬間になると、カメラは「天井を見つめるヒロインの顔のアップ」だけをひたすら映し続けます。

そして「はい、力抜いてくださいねー」という医師の声や、カチャッという金属音が少しだけ聞こえたかと思うと、次のシーンではもう服を着て問診室の椅子に座っている……という魔法のようなスキップが発動します。

大ヒットアニメ『推しの子』の第1話でも産婦人科が舞台になりますが、直接的な内診シーンはほぼ描かれません。「動き」を描くことのリスクを避け、物語の進行に必要な「結果」だけをスタイリッシュに伝える、現代的でクリーンな処理方法です。  

パターン②:逃げ場のない「時間と音」の描写(真正面からのストロングスタイル)

一方で、この「動きと音」が持つ生々しさをあえて逃げずに真っ向から描き切り、女性視聴者に強烈なトラウマ(あるいは圧倒的な共感)を植え付けた伝説的なアニメ作品があります。

矢沢あい先生原作の『NANA -ナナ-』です。  

主人公の一人であるハチが、妊娠の不安を抱えて産婦人科を受診するエピソード。

アニメ版のこのシーンは、本当に逃げ場がありませんでした。ヒロインが内診台に座らされると、無機質な機械音(ウィーン……)と共に、強制的に身体の向きを変えられ、脚を開かれます。そして、目の前で「シャーッ!」とカーテンが引かれる音。  

ここでアニメ特有の「強制的な時間経過」が牙を剥きます。

漫画なら1秒でページをめくれる場面ですが、アニメでは「見えないカーテンの向こう側で、カチャカチャと器具を準備される音を聞きながら、ただ怯えて待つ数十秒間」を、視聴者もヒロインと一緒にリアルタイムで体験させられるのです。  

かつて私がこのブログの初期(【No.007】密室の音響学)でネチネチと語った、「視覚を奪われた状態で、正体不明の金属音が近づいてくる聴覚の拷問」。

あの理屈っぽい私のテキストを、アニメというメディアは数十秒の「時間と音」で見事に、そして完璧に映像化(音響化)していたのです。なんだか自分の過去の考察が証明されたようで少しドヤ顔をしたくなりますが、同時に、まな板の上の鯉にされた絶望感、羞恥心、そして「早く終わって……」と目をギュッとつぶるヒロインの息遣いに、二度と見返したくないほど胃が痛くなるシーンでもあります。  

一枚の絵でスパッと切り取る漫画の美学。オブラートに包んでやり過ごすか、あえて音と時間で逃げ場をなくすかというアニメの苦悩。

メディアが違えば、あの密室の描き方も全くアプローチが変わる。空間社会学的に見ても、非常に興味深い違いだと思いませんか?  

それではまた、次のふとした違和感の前で、お会いしましょう。

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