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本ブログは、医療空間における権力構造や、そこに生じる心理的な嫌悪感・ざわつき等を分析・考察するものです。特定の医療機関や従事者を非難・攻撃するつもりはありませんが、記事の性質上、医療現場の生々しい実態や直接的な表現が含まれる場合があります。ご自身の心身の状況に合わせて、無理のない範囲で閲覧をご判断ください。詳しくはサイトポリシーをご一読ください。
こんにちは、御簾納です。
前回、私は掲示板で見つけた「無菌の呪い」について書きました。そして最後に、掴みきれない尻尾が一つ残っている、とも。
その話を、そのままSさんにぶつけてみました。彼女たちが検診の前に何度も身体を洗っていること。頭では検体だと分かっているのに、手が動いてしまうこと。
「そんなの、みんなそうだよ」
Sさんは、少しも驚きませんでした。
「婦人科に行く前って、みんな血が出るくらいゴシゴシ洗っていくんだよね。汚いって思われたくないから」
そして、淡々と続けました。
「でもね、いざ内診台に乗って足を開かれると、やっぱり不安で頭がおかしくなりそうになるの。一瞬、先生に向かって『私のは綺麗ですか?』って聞きそうになる自分がいて、そんなこと考えるなんて本当に惨めで絶望的になる」
病気を治すための医療空間において「綺麗かどうか」など本来は無意味なはずです。しかし彼女たちは、医師の目の前で自らを極限まで無菌状態の「検体」に近づけようと、血の滲むような自己検閲を強いられています。
私は、前回自分で書いた「人間味」の話を思い出しながら、彼女にこう返しました。
「そんなに完璧な無菌状態にする必要なんてないと思うよ。少しぐらい生活感があった方が、無機質なプラスチックじゃなくて『生身の人間』としてのリアリティを感じるしね」
私のこの言葉に対するSさんの反応は、意外なものでした。彼女は少し驚いた顔をした後、「そっか。生活感、か。なんかその言葉、すごく救われるかも」と小さく笑ったのです。
私は、自分の空間社会学的な分析が彼女の強迫観念を少し解きほぐせたのだと思い、得意になってそのまま考察を続けました。
「つまり、医療空間において女性器は、エロティシズムを完全に切り離された『ただの生物学的な器官』として扱われるべきなのに、そこに男の視線があるからエラーが起きるんだね。診察の客体としてのマンコと、日常の——」
「……御簾納くん、今、なんて言った?」
周囲には絶対に聞こえないほどの低く静かな声で、Sさんの言葉が空気を切りました。
「えっ?」
「あなた今、無意識に『マンコ』って言ったよね」
私はハッとしました。
「生殖器官でも、女性器でもなく、マンコ。いくら学術的な顔をして空間社会学を語っていても、御簾納くんの頭の中では、それは結局そういう『性的な記号』として処理されてるってことだよ」
Sさんの指摘は、私の喉元に突き立てられた鋭利な刃物でした。
「女性がどれだけ自分を殺して『ただの無機質な検体』になりきろうとしても、そこに男の人がいる限り、絶対にそれは成立しないの。だって男の人は、それをただの検体としては見てくれないじゃない。マンコはどこまで行ってもマンコであって、それ以上でもそれ以下でもないのよ」
私は完全に言葉を失いました。
自分は空間デザインや社会学という高尚なロジックでこの問題を俯瞰していると信じ込んでいました。しかし、私自身の口から無意識に飛び出した極めて下品で性的な単語が、私自身の中にも「男の加害的なまなざし」が強固にへばりついていることを、何よりも残酷に証明してしまったのです。
「男のエロい視線がある限り、この空間をオープンにするなんて絶対に不可能」
彼女が最初から突きつけていたその暫定結論の正しさを、他でもない私自身が裏付けてしまったのです。


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