【No.052】空間社会学の敗北 —— 内面化された『オスのまなざし』と防空壕の正体

空間と装置

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本ブログは、医療空間における権力構造や、そこに生じる心理的な嫌悪感・ざわつき等を分析・考察するものです。特定の医療機関や従事者を非難・攻撃するつもりはありませんが、記事の性質上、医療現場の生々しい実態や直接的な表現が含まれる場合があります。ご自身の心身の状況に合わせて、無理のない範囲で閲覧をご判断ください。詳しくはサイトポリシーをご一読ください。

こんにちは、御簾納です。

前回、私はSさんとの対話の中で、自分の口から「マンコ」という単語を滑らせました。

自分のまなざしに加害性があることを、私はその時点ですでに知っていました。少し前に、彼女の証言を自分の欲望の材料にしたことを自覚し、その前後で、人間味を求めると言う男ほど実物の前で目を逸らすとも書いていた。私を含めて、と自分で添えて。

知った上で、口が滑ったわけです。

しかし、私を打ちのめしたのは、失言そのものではありませんでした。彼女がその後に言ったことです。

「男のエロい視線がある限り、絶対にそれは成立しないの」

視線がある限り、と彼女は言いました。男がいる限り、とは言っていません。

最初は、そこに逃げ道があるように聞こえました。存在なら動かせませんが、視線なら変えられるかもしれない。慎めばいい、鍛えればいい、自覚を持てばいい。

しかし、彼女がその条件を口にしたのは、私が口を滑らせた直後でした。順序が逆なのです。彼女は一般論として視線を持ち出したのではありません。目の前に実物を一つ見て、それを条件として名指ししました。

改心すれば済む話ではありませんでした。改心の意思は、失言の前からあったのです。自覚もありました。自覚した上で、口から出た。あるのに出たのではなく、出たことで、あると分かった。

私個人の失敗が、構造の不可能に置き換えられたのではありません。逆でした。構造の話をしていた私が、その構造の一部として指名されたのです。

そして、それは私がこれまで築き上げてきた「空間社会学」のロジックを、根底から破壊するものでした。

私はかつて、このテーマに対するひとまずの結論として、「カーテンを取り払い、オープンな空間にすべきだ」と声高に主張しました。

Sさんにそれを否定されたとき、私はこう反論したはずです。人間の意識はそう簡単には変わらない、だからこそ変えられるところ——空間の設計、装置のあり方、制度——から手をつけるべきだ、構造が変われば意識は後からついてくるのではないか、と。

構造の話をし続けていた男の意識は、変わっていませんでした。

物理的な壁や権力構造といった「外部のシステム」さえ解体できれば、女性の羞恥心や恐怖は必ず解消できると信じていたのです。それが、空間や環境の仕組みを解き明かす「空間社会学」の基本アプローチだからです。

しかし、私の口から無意識に飛び出した単語が証明してしまったのは、どれほど空間の側を洗練させようとも決して消し去ることのできない、男という生き物に根付いた「まなざしの暴力」でした。

問題の根源は「空間の構造」ではなく、「観察者(男)の側のフィルター」にあったのです。

——ここで、一つ断っておかなければなりません。

私は前回まで、あの部屋の側にも問題があると書いてきました。手袋一枚が誰の悪意もなしにやり切れなさを生んでいること。あの部屋が医師にすら「見ろ、しかし見たと思うな」という不可能を要求していること。あれは間違っていないと、今でも思っています。部屋は、確かに、それ自体で人を傷つけている。

しかし、その部屋を完璧に直したとして、そこに私のような男が立ちます。

待合室をどれだけ美しい北欧デザインの家具で飾ろうが、照明をどれだけ柔らかくしようが、あるいはカーテンを取り払って空間をオープンにしようが、そこにいる男の頭の中が女性器を「性的な記号」として処理し続ける限り、空間の改善だけでは届きません。

建築やデザインという「物理的な外枠」は、人間の内側にこびりついた欲望までは漂白できないのです。

もし、あの空間を隔てるカーテンを取り払ってしまったら何が起きるでしょうか。そこには「医療行為」という正義の大義名分のもと、女性の最も無防備な急所を合法的に凝視する『オスのまなざし』が剥き出しになるだけです。

女性たちは、男たちが決して自分たちを「ただの検体」としては見てくれないという事実を、本能的に悟っています。

だからこそ彼女たちは、自分の身体が性的に搾取されるという圧倒的な暴力から精神を守るために、あのカーテンという『防空壕』に逃げ込むしかなかったのです。

日本の婦人科空間がガラパゴス的に閉鎖的になっているのは、社会が過剰にタブー視しているからでも、デザインの工夫が足りないからでもありません。

男のエロティシズムの引力が暴力的すぎるから、女性側の尊厳を守るために、物理的に視界を遮断(隔離)するしかなかったのです。あの異様なまでの密室空間は、オスのまなざしに対する「究極の防衛線」だったのです。

私は完全に敗北しました。

空間構造の改善やシステム批判の力などという小綺麗なロジックでこの問題を解決できると信じ込んでいた自分が、ひどく滑稽で恐ろしく思えました。

Sさんが突きつけた「男のエロい視線がある限り、この空間をオープンにするなんて絶対に不可能」という暫定結論。

カーテンを閉め切り、女性を物理的な暗闇に閉じ込めるというこの絶望的な『オスとメスの非対称性』の前に、空間社会学は本当に打つ手を持たないのでしょうか。

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