【No.087】去勢される「溝浚え」 —— 歴代『白い巨塔』が隠蔽した産婦人科のクリーン化

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こんにちは、御簾納です。前回の続きです。

この『白い巨塔』という怪物的な名作は、昭和から令和にかけて何度もドラマ化されてきました。そこで面白いのが、時代が下るにつれて、この財前産婦人科の「どぎつさ」が、テレビのコンプライアンスや世相を反映して、見事に「去勢(クリーン化)」されていくプロセスの変遷です。  

まず、1978年の田宮二郎版(又一役:曽我廼家明蝶)。

この時代は、当時のテレビ界のガサツなエネルギーもあり、又一の「中絶で大儲けしている」といういやらしさや「溝浚え」的なニュアンスが、ほぼそのまま不穏な空気として描かれていました。そこには「命と金が未洗練のまま循環する昭和の診療所」の生々しさがあったのです。  

ところが、これが2003年の唐沢寿明版(又一役:西田敏行)になると、劇的な変化が起こります。

又一が中絶手術を行っている気配や、「溝浚え」という直接的表現は綺麗さっぱり画面から消え、もっぱら「新生児を愛おしそうに抱っこしている」という、ヒューマニティ溢れる優しい産科医の姿として描かれるのです。

背景にあるのは、2000年代以降の「産婦人科のビジネスモデルの転換」です。少子化の中で生き残るため、開業医たちは中絶で稼ぐ泥臭いスタイルから、高級ホテルのようなサービスとセレブ感のあるお産費用で稼ぐ「ブランド化」へとシフトしていました。ドラマの財前産婦人科も、古城のようなシャンデリアが輝く贅沢な空間へとアップデートされ、血と泥の匂いは徹底的に漂白されたわけです。  

しかし、ここで脚本の妙が光ります。空間をそこまで綺麗に去勢したからこそ、西田又一が高級ライターを財前五郎に手渡しながら笑顔で言い放つあの名セリフが、原作以上の凄まじいカウンターとして機能しました。  

「所詮はな、女の股覗いて稼いだ金やさかい……」  

空間をパステルカラーでどれだけお洒落に偽装しようとも、経営を支えている本質は、女性の最もプライベートな聖域から金を搾り取る「欲望と実利のシステム」に他ならない。映像がクリーンになったからこそ、ポロリと漏れた本音のどぎつさが、よりグロテスクなコントラストとして突き刺さったのです。  

これがさらに2019年の岡田准一版(又一役:小林薫)になると、泥臭い関西弁の商人の面影すらなく、最先端の「セレブ向け高セキュリティ・クリニックのCEO」のような佇まいになります。空間の暴力性も金への執着も、すべてが「洗練されたサービス」の裏側に完全にハイド(隠蔽)されてしまいました。  

時代とともに、「溝浚え」の泥水は現代的な美しいフィルターによって透明な水へと濾過されていきました。しかし、水が透明になったからといって、その底にある力学が変わったわけではありません。見えにくくなった分だけ、その空間が持つ「まやかし」は、より巧妙になっているのかもしれませんね。  

それではまた、次のふとした違和感の前で、お会いしましょう。

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