【No.055】チンコの『死に顔』と、ちくわの穴 —— 妻の痛烈な一言

社会とジェンダー

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本ブログは、医療空間における権力構造や、そこに生じる心理的な嫌悪感・ざわつき等を分析・考察するものです。特定の医療機関や従事者を非難・攻撃するつもりはありませんが、記事の性質上、医療現場の生々しい実態や直接的な表現が含まれる場合があります。ご自身の心身の状況に合わせて、無理のない範囲で閲覧をご判断ください。詳しくはサイトポリシーをご一読ください。

こんにちは、御簾納です。

TURP(経尿道的前立腺切除術)の映像を前にして、私は強烈な無力感に苛まれていました。

画面の向こう側で、器具を受け入れるために不自然にぽっかりと口を開けさせられた先端の尿道口。そこには、ただ圧倒的な「喪失感」が映し出されていました。

その映像を見て「昼間から見せるな」と吐き捨てた後、妻が放ったもう一つの言葉は、男性が直視することを最も恐れる「絶対的な敗北」の本質を、身の毛もよだつほどの正確さで言語化していました。

「尿道はチンコの顔だからね。表情がある。でも、これは、死んでるときの顔。苦しいとか、悲しいとか、何の感情もないひたすら無表情」

そして、妻は最後にふっと笑ってこう付け加えたのです。

「チクワの穴みたいだね」

私は戦慄しました。

男性にとって、自らの性器は「オスとしてのパワーとアイデンティティの象徴」です。しかし、医療空間という無機質なシステムは、その象徴を冷酷に解体します。主体性を完全に奪われ、ただ手術器具を出し入れするためだけに強制的に開かれ、固定された、中身の空っぽな穴。

それは妻の言う通り、まさに「死に顔」であり、スーパーで売られている加工食品の「チクワの穴」と同じ、ただの無機質なモノ(生肉)への完全なる還元でした。

女性を性的なまなざしで消費し、彼女たちに防衛線(カーテン)を張らせているうちは、男はまだ加害的なオスとしてのパワーを持っています。しかし、チクワの穴になった男には、女性を消費する欲望もパワーも何一つ残っていません。女性にとって脅威ですらない、ただの無機質な肉のパイプです。

権力を完全に剥奪され、ただの客体へと転落した男に対して、女性はもはや身構え、嫌悪感を抱く必要すらありません。そこにあるのは、エロティシズムすら微塵も介在しない、ただひたすらに哀れで、絶対的な虚無なのです。

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