【No.054】男の『失墜』と笑いの防空壕 —— TURP手術映像の絶望

社会とジェンダー

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本ブログは、医療空間における権力構造や、そこに生じる心理的な嫌悪感・ざわつき等を分析・考察するものです。特定の医療機関や従事者を非難・攻撃するつもりはありませんが、記事の性質上、医療現場の生々しい実態や直接的な表現が含まれる場合があります。ご自身の心身の状況に合わせて、無理のない範囲で閲覧をご判断ください。詳しくはサイトポリシーをご一読ください。

こんにちは、御簾納です。

女性の医療空間に潜むまなざしの暴力を語ってきた私ですが、ここでそのメスの矛先を「男自身の医療空間」と、それに付随する男の権力の失墜へと向けなければなりません。

世の男たちは、シモの医療をよく「笑い話」にします。健康診断で前立腺の触診を受け、「尻に指を突っ込まれた」というエピソードを、飲み会で自虐的なコメディのように語る光景を見たことがあるでしょう。

なぜ男たちは、シモの医療行為を笑いに変換できるのでしょうか。それは、彼らの根源的な「オスとしての権力(性的パワー)」が、まだ無事であるという余裕があるからです。「笑い」とは、一時的に弱者の立場に追いやられた男が、自らのプライドを守り、強者の側にとどまるために逃げ込む「防空壕」なのです。

前回、女性たちがカーテンという防空壕に逃げ込むという話を書きました。彼女たちは身を守るために壕に入ります。男は、プライドを守るために壕に入る。同じ場所に、違う理由で、二種類の人間が隠れています。

——そして、もう一種類います。

私はこのブログの初期(【No.029】)で、同じテーマを扱っています。TURP(経尿道的前立腺切除術)の手術映像を観察し、そこに何が映っているかを書きました。その時、私は自分の着眼点をこう説明しています。「その映像が映し出す客観的な構図が持つ、徹底した客体化のプロセス」に着目したのだ、と。

客観的な構図。

——理論も、防空壕です。笑いより上等に見えるだけで、中でやっていることは変わりません。居酒屋の男は笑って処理し、私は分析して処理した。どちらも、直視を回避する技術です。

そして、その回で私は、安全圏から笑う男たちを批判していました。壕の中から、隣の壕を指差していたことになります。

その同じ映像を、私はもう一度、今度は妻に見せてみました。

TURPが何であるかを、先に書いておきます。前立腺の肥大は、高齢者だけの話ではありません。40代、50代——男としての自尊心がまだ現役である世代でも、手術の適応になることは珍しくない。TURPは、その標準的な術式です。

つまり、これは特殊な症例の話ではありません。

当時、私はこの映像を「EDリスクは低く、逆行性射精による機能の変容はあるものの、あくまで医療システムによる客体化のプロセスである」と分析していました。

そして描写は、こう書いています。切除鏡という金属の筒が尿道に挿入され、そこを通した電気メスで、肥大した前立腺が内側から削り取られていく。器具を受け入れるために開かれた尿道口には、社会で誇示される男のプライドなど微塵もなく、そこにあるのは管へと還元された肉体の現実である、と。

我ながら、よく書けていると思います。

妻は、数十秒眺めた後、一言、こう吐き捨てました。

「昼間からこんなもん見せるな」

この時、私はようやく思い知らされました。医学的に機能が温存されるとか、そういうデータ上の話はここでは一切関係ないのです。

この映像に記録されているのは、一時的な屈辱や小難しい理論などではありません。男のアイデンティティの象徴である器官が、無抵抗なまま押し広げられ、ただ内視鏡を通すためだけの「肉の筒」へと視覚的に完全に解体されていくという、剥き出しの暴力的な事実そのものです。

そこには、居酒屋で笑いを取れるような余裕は一切ありません。妻の冷たい言葉は、この映像がもはや小綺麗な理屈や笑いで処理できるレベルを超えた「洒落にならない深淵(オスの視覚的な完全敗北)」であることを、見事に見抜いた結果です。

彼女は、笑いも理論も持っていませんでした。だから、まっすぐ見て、まっすぐ拒否した。壕を持たない人間の反応です。

——そして今回、私は初めて、この手術について調べました。観察するのではなく、調べたのです。

TURPは、全身麻酔とは限りません。腰椎麻酔、つまり下半身だけの麻酔で行われることが、少なくないのです。臨床上の理由もあります。意識があれば、術中に異常が起きたとき、本人が訴えることができるからです。

意識は、あります。

下半身の感覚は、ありません。

そして、下半身には布がかかっていて、本人からは見えません。

——五十話以上かけて、私はこの姿勢について書いてきました。

意識があり、下半身の感覚だけが遠く、何が行われているかは見えず、しかし人の気配と音だけは届いている。私はそれを、女性だけが強いられている特異な状況として解剖してきました。

同じ台に、男も乗っています。

【No.029】の私は、この映像を「観察」していました。画面の外から、構図を分析していた。しかしあの映像に映っている男は、あの瞬間、たぶん起きています。分析される側の視界は、布で塞がれている。

私は、五十話かけて婦人科の内診台を解剖しながら、自分たちが同じ姿勢で寝かされることを、一度も調べていませんでした。

しかも、乗った男は、それを居酒屋で笑い話にできると思っている。カーテンの向こうで自分の身体に何が起きているかを見ないまま出てきて、「尻に指を突っ込まれた」と同じ調子で処理しようとする。

彼らが笑えるのは、見なかったからです。

私が理論で処理できたのも、同じ理由でした。

男性専用のEDクリニックやAGAクリニックが、看板を目立たせず「鉄壁のプライバシー」を売りにしているのは、なぜでしょうか。

推測を挟む必要はありません。看板を見れば分かります。彼らが商品にしているのは、治療の効果だけではない。「バレないこと」です。そして、それが商品として成立しているということは、そこに需要があるということです。

男たちは、自分が同じ台に乗せられることを、まだ知りません。知らないまま、その台の話をして笑い、終わったら、看板のないビルへ一人で入っていきます。

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