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本ブログは、医療空間における権力構造や、そこに生じる心理的な嫌悪感・ざわつき等を分析・考察するものです。特定の医療機関や従事者を非難・攻撃するつもりはありませんが、記事の性質上、医療現場の生々しい実態や直接的な表現が含まれる場合があります。ご自身の心身の状況に合わせて、無理のない範囲で閲覧をご判断ください。詳しくはサイトポリシーをご一読ください。
こんにちは、御簾納です。
前回まで「上半身の密室(乳房)」に関するノートの切れ端をいくつか引っ張り出してきましたが、このテーマの最後に、私たちが最も日常的に利用する「内科」という空間での暗黙のルールについて書き留めておきます。
先日、風邪をひいて内科にかかりました。
シャツをめくり上げて、聴診器を当てられる。冷たいな、と思う。それだけです。医師が何をどう当てようが、何も起きません。診察が終わって、服を戻して、薬をもらって帰る。
同じ動作を、女性が受けているところを想像してみてください。
心臓の音を正確に拾うためには、どうしても左胸のすぐ近く、あるいはその下へと、あの冷たい金具を潜り込ませなければなりません。服をまくり上げるか、衣服の隙間から差し込まれるのを許容するか。
同じ医師の、同じ手つき、同じ道具です。ところが私の側には何も起きず、彼女の側には何かが起きている。
この瞬間、内科という空間において、乳房は一体どのような扱いを受けているのでしょうか。
結論から言えば、内科における乳房とは、性的オブジェクトでもなければ、診察すべき患部でもありません。それは単なる「心臓や肺の音を拾うための、邪魔な地形的障害物」に過ぎないのです。
婦人科や乳腺外科では、乳房そのものが「主役」としてまなざしに晒されます。しかし内科では、医師のまなざしは乳房を透過して、その奥にある心臓や肺へと向けられています。医師はそこにおっぱいがあることを徹底的に無視し、女性側も「私はおっぱいを見せているのではなく、心音を聞かせるために胸壁を開け渡しているのだ」という自己暗示をかけます。
ここには、医師と患者の間で「ここに女性性は存在しないものとする」という取り決めが交わされています。誰も口には出しませんが、全員が守っている。
そして私が受けた診察には、この取り決めがありません。
必要ないからです。私の胸には、無視しなければならないものが何もない。医師は私の胸を、ただの胸壁として扱えます。フリをする必要がないので、そもそも取り決めが発生しない。
つまり同じ内科の同じ診察で、私は素で受けていて、彼女は演技をしている。
「谷間が見えすぎていないか」「医師の手の甲が触れてしまわないか」。私が一度も考えたことのないことを、たぶん彼女たちは毎回考えている。
医師はそれを見えていないフリをし、女性は見せていないフリをする。私だけが、フリをしていません。
空間の看板が「乳腺外科」から「内科」へと変わるだけで、身体の意味は完全に書き換えられ、この白々しいフィクションを演じ続けなければならない。
上半身の切れ端を4回にわたって引っ張り出してきましたが、書き終えてみると、どの回でも同じことをしていた気がします。彼女たちが払っている代金を、私は一円も払っていない。マンモグラフィーの痛みも、触診の視線の行き場のなさも、搾乳の現場も、そして内科の演技も。
私といえば、風邪をひいてシャツをめくって、冷たいなと思っただけです。それで終わりでした。何も払ってないというのは、まあ、そういうことなのだろうと思います。
それでは、また気が向いた時に。


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