【No.052】空間社会学の敗北 —— 内面化された『オスのまなざし』と防空壕の正体

空間と装置

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本ブログは、医療空間における権力構造や、そこに生じる心理的な嫌悪感・ざわつき等を分析・考察するものです。特定の医療機関や従事者を非難・攻撃するつもりはありませんが、記事の性質上、医療現場の生々しい実態や直接的な表現が含まれる場合があります。ご自身の心身の状況に合わせて、無理のない範囲で閲覧をご判断ください。詳しくはサイトポリシーをご一読ください。

こんにちは、御簾納です。

前回、私はSさんとの対話の中で、無意識のうちに自らの「オスとしての本音」を露呈してしまい、彼女から致命的な宣告を受けました。

「女性がどれだけ無機質な検体になりきろうとしても、男の視線がある限り、それは性的な記号として処理される。マンコはどこまで行ってもマンコであって、それ以上でもそれ以下でもない」

この冷徹な事実は、私がこれまで築き上げてきた「空間社会学」のロジックを根底から完全に破壊するものでした。

私はかつて、このテーマに対するひとまずの結論として、「分厚いカーテンを取り払い、フラットな対話を通じてオープンな空間にすべきだ」と声高に主張しました。

物理的な壁や権力構造といった「外部のシステム」さえ解体できれば、女性の羞恥心や恐怖は必ず解消できると信じていたのです。それが、空間や環境の仕組みを解き明かす「空間社会学」の基本アプローチだからです。

しかし、私の口から無意識に飛び出した単語が証明してしまったのは、どれほど空間の側を洗練させようとも決して消し去ることのできない、男という生き物に根付いた「まなざしの暴力」でした。

問題の根源は「空間の構造」ではなく、「観察者(男)の側のフィルター」にあったのです。

待合室をどれだけ美しい北欧デザインの家具で飾ろうが、照明をどれだけ柔らかくしようが、あるいは分厚いカーテンを取り払って空間をオープンにしようが、そこにいる男の頭の中が女性器を「性的な記号(究極のエロティシズムの発生源)」として処理し続ける限り、空間の改善など何の意味も持ちません。

建築やデザインという「物理的な外枠」は、人間の内側にこびりついた生物学的な欲望や本質までは絶対に漂白できないのです。

もし、あの空間を隔てる分厚いカーテンを取り払ってしまったら何が起きるでしょうか。そこには「医療行為」という正義の大義名分のもと、女性の最も無防備な急所を合法的に凝視する『オスのまなざし』が剥き出しになるだけです。

女性たちは、男たちが決して自分たちを「ただの検体」としては見てくれないという事実を、本能的に悟っています。

だからこそ彼女たちは、自分の身体が性的に搾取されるという圧倒的な暴力から精神を守るために、あの分厚いカーテンという『防空壕』に逃げ込むしかなかったのです。

日本の婦人科空間がガラパゴス的に閉鎖的になっているのは、社会が過剰にタブー視しているからでも、デザインの工夫が足りないからでもありません。

男のエロティシズムの引力が暴力的すぎるから、女性側の尊厳を守るために、物理的に視界を遮断(隔離)するしかなかったのです。あの異様なまでの密室空間は、オスのまなざしに対する「究極の防衛線」だったのです。

私は完全に敗北しました。

空間構造の改善やシステム批判の力などという小綺麗なロジックでこの問題を解決できると信じ込んでいた自分が、ひどく滑稽で恐ろしく思えました。

Sさんが突きつけた「男のエロい視線がある限り、この空間をオープンにするなんて絶対に不可能」という暫定結論。

分厚いカーテンを閉め切り、女性を物理的な暗闇に閉じ込めるというこの絶望的な『オスとメスの非対称性』の前に、空間社会学は本当に打つ手を持たないのでしょうか。

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