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本ブログは、医療空間における権力構造や、そこに生じる心理的な嫌悪感・ざわつき等を分析・考察するものです。特定の医療機関や従事者を非難・攻撃するつもりはありませんが、記事の性質上、医療現場の生々しい実態や直接的な表現が含まれる場合があります。ご自身の心身の状況に合わせて、無理のない範囲で閲覧をご判断ください。詳しくはサイトポリシーをご一読ください。
こんにちは、御簾納です。
今回は、ずいぶん古い記憶の話です。
二十年ほど前でしょうか。テレビのニュース特集で、ロシアの産婦人科の取材映像を見ました。一人の女性が内診台で中絶処置を受けているシーンが、顔も含めて生々しく映し出されていました。
今の日本の放送では、まず流れないでしょう。当時としても、かなり踏み込んだ映像だったと思います。
しかし、私にとって衝撃だったのは、その痛々しい絵面よりも、カメラが引いた時の空間の方でした。
すぐ横に、まったく同じ内診台があり、そこでも別の女性が脚を開き、同じように処置を受けていたのです。さらに見渡せば、その一つの部屋には合計4つの内診台が並んでいました。衝立もカーテンも一切ありません。
複数の女性が横並びで、自らの最も無防備で過酷な現実を晒しながら、同時に手術を受けている。
なにしろ一度見たきりの、ずいぶん昔の映像ですから、細部の記憶は当てになりません。台の数が本当に4つだったのかも、正直なところ自信はないですが、あの並び方だけは、なぜか妙にはっきりと覚えています。
さて、このブログでは何度か「カーテンを取り払え、オープンな空間にすべきだ」というようなことを書いてきました。そして、その主張はすでにSさんに完膚なきまでに叩き潰されています。
ただ、あの映像のことを思い出すと、叩き潰される以前の問題だったのではないかという気もしてくるのです。
あそこには、確かにカーテンがありませんでした。私がかつて理想として語っていた「開かれた空間」が、目の前に実現していたわけです。ところが、そこにあったのは尊厳でも対等さでもなく、女性の身体を順番に処理していく作業場でした。
つまり、カーテンを外しさえすれば何かが良くなるという話ではまったくないのです。外した結果があれである、という実例を、私はずっと前に一度見ているのです。
見ていたのに、忘れていました。そして忘れたまま、カーテンを取り払えと書いていたわけです。
もっとも、だからといって日本の遮蔽が正しいという結論にもなりません。あちらは剥き出しにして人を処理し、こちらは隠したうえで人を処理している。処理していることは、どちらも同じです。
隠すか、隠さないか。私はずっとその二択で考えていましたが、どうやら問題はそこではないのだろうと思います。
それにしても、なぜあの映像を忘れていたのでしょうか。四台の内診台が並んでいる絵など、そうそう見るものではありませんし、忘れる方が難しい気もします。
たぶん、都合が悪かったのだと思います。自分の主張に合わない映像は、覚えていても使わない。使わないうちに、見なかったことになる。
そういうことをやっているから、Sさんにも叩き潰されるわけです。
それでは、また気が向いた時に。


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