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本ブログは、医療空間における権力構造や、そこに生じる心理的な嫌悪感・ざわつき等を分析・考察するものです。特定の医療機関や従事者を非難・攻撃するつもりはありませんが、記事の性質上、医療現場の生々しい実態や直接的な表現が含まれる場合があります。ご自身の心身の状況に合わせて、無理のない範囲で閲覧をご判断ください。詳しくはサイトポリシーをご一読ください。
こんにちは、御簾納です。
今回は少し視点を海外に向けた、空間デザインに関するメモを引っ張り出してみます。
平成の初め頃、テレビのニュース特集で見た、ロシアの産婦人科の取材映像です。一人の女性が内診台で中絶処置を受けているシーンが、顔も含めて生々しく映し出されていました。
しかし、私にとって衝撃だったのは、その痛々しい絵面よりも、カメラが引いた時の「空間の異常さ」でした。
すぐ横に、全く同じ内診台があり、そこでも別の女性が脚を開き、同じように処置を受けていたのです。さらに見渡せば、その一つの部屋には合計4つの内診台が並んでいました。衝立もカーテンも一切ありません。
患者同士のプライバシーへの配慮など皆無のまま、複数の女性が横並びで、自らの最も無防備で過酷な現実を晒しながら手術を受けていたのです。すべてが剥き出しになったロシアの病室にあったのは、「尊厳あるオープンな空間」などではなく、女性の身体を単なる処理対象として扱う「工業的な冷酷さ」でした。
では、ひるがえって日本のクリニックはどうでしょうか。
中絶手術や流産の処置を終えた患者様は、幸せそうな妊婦たちと顔を合わせずに済む専用の「裏口」から、ひっそりとクリニックを後にできるよう設計されています。
かつての私なら、これを「患者の心に寄り添う究極の優しさだ」と手放しで賞賛していたでしょう。しかし、Sさんに「見えないように隠すのは、臭い物に蓋をしているだけ」と論破された今の私には、この「裏の動線」の図面を見るたびに忸怩たる思いに駆られます。
果たしてこの裏口は、本当に彼女たちの尊厳を守っているのでしょうか。
もしかすると私たちは、空間デザインという名の下に、「あなたが行ったこと(あるいは悲劇)は、表を歩くべきではない日陰の出来事である」という社会のスティグマ(烙印)を、コンクリートと扉を使って物理的に押し付けているだけではないのでしょうか。
堂々と表玄関から外の光の下へ歩み出ることができる。それを、ただ「同じ女性の身体に起こる、一つの現実」として静かに受け入れる。そんな社会の寛容さ(精神的なオープン化)が育った時に初めて、クリニックの設計図からあの悲しい「裏口」を消し去ることができるのだと思います。
それでは、また気が向いた時に。


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