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本ブログは、医療空間における権力構造や、そこに生じる心理的な嫌悪感・ざわつき等を分析・考察するものです。特定の医療機関や従事者を非難・攻撃するつもりはありませんが、記事の性質上、医療現場の生々しい実態や直接的な表現が含まれる場合があります。ご自身の心身の状況に合わせて、無理のない範囲で閲覧をご判断ください。詳しくはサイトポリシーをご一読ください。
こんにちは、御簾納です。
一連の考察は前回【No.043】でひとまずの区切りとし、このブログは記録として残しておくと宣言したばかりでした。しかし、私は早々に自らの不明を恥じ、再びこの重苦しい空間の扉を開けなければならなくなりました。
休載期間中、10年来の友人である女性(本ブログでは今後、彼女を「Sさん」と呼びます)とこのテーマについて深く語り合う機会がありました。彼女もまた、私と同じように社会のタブーをテーマに研究している人間なのですが、その彼女から、私自身の見識をもう一段階アップデートしなければならないほどの強い衝撃を受けたのです。
事の発端は、私が彼女に「禁足地としての婦人科」について意見を求めたことでした。
理知的でサバサバとした性格のSさんは、私の視点に深く同意してくれました。彼女自身にとっても、あの空間での出来事は親兄弟や同性の友人にすら話しづらいタブーだと言います。
では、彼女たちはその孤独な重圧を、最終的に誰と共有するのでしょうか。それは「夫(パートナー)」です。しかしそれは、決して積極的な信頼からではありません。
彼女の言葉を借りれば、それは「極めて消極的な意味合いでの消去法」なのです。
万が一重大な病気であった場合のリスクマネジメントとして「話しておかなければならない」から、仕方なく夫のところに持っていきます。しかし勇気を振り絞って切り出しても、夫は居心地が悪そうに「了解」とだけ返し、会話を強制終了させてしまいます。妻の身体が他の男(医師)の権力下に置かれるという生々しい現実に、男の側が耐えられないからです。
さらに、Sさんは私が前回の結び(【No.043】)で高らかに宣言した「分厚いカーテンを取り払い、オープンな空間にすべきだ」という主張に対し、明確なNOを突きつけてきました。
「御簾納くんは『オープンにすべきだ』って言うけど、それって安全圏にいる男の傲慢だよね。女性がどれだけ医療だと割り切ろうとしても、そこに男の人がいる限り、必ず『性的なまなざし』が混入する。男のエロい視線がある限り、あの空間をオープンにするなんて絶対に不可能なの」
彼女はこれを、議論の余地のない「暫定結論」として私に突きつけました。
この切実な言葉に、私は言葉を失いました。私はこれまで、内診台の暴力性やカーテンの欺瞞を「医療システムの問題」や「メディアの怠慢」として理詰めで批判し、物理的な壁さえ取り払えば解決できると、いささか賢しらな「システム論」に逃げ込んでいたのです。
しかし、その私の薄っぺらな考察を、Sさんは一刀両断にしました。
「御簾納くん、ブログ読んだけど、ずいぶん綺麗にまとめちゃってるよね。でもさ、そうやって社会学者みたいな顔をして、システムや空間構造の話に逃げ込んでいるうちは、あの空間の本当の病理なんて絶対に暴けないわよ」
「問題の根源はカーテンじゃない。男の『エロい行動原理』があるから、私たちは隠れるしかないの。御簾納くんは『システム批判』っていう小綺麗な言葉に逃げ込んで、男自身の業や、私たちが直視させられてる血と肉の生々しい現実を見ないようにしてる。それって結局、加害者側の都合で『臭い物に蓋』をしてるだけじゃない?」
完全に図星でした。
私は「オープンにすべき」などと高尚なことを言いながら、その実、女性の身体が抱える病やコントロールの利かない生々しい生理反応といった「綺麗ではない現実」を直視する覚悟を持っていなかったのです。
そんな私に、Sさんは最後通牒とも言える提案を突きつけてきました。
「あの分厚いカーテンの向こう側で、女の身体と精神に何が起きているか。その生々しい感覚を、私が一切オブラートに包まずに、解剖学レベルの解像度で言葉にして突きつけてあげる。内診台っていう究極の密室で行われてる『尊厳の解体』を、小綺麗なシステム批判抜きで直視する覚悟、御簾納くんにはある?」
私はもう、安全圏からのシステム批判の陰に隠れるのはやめます。
人間の生々しい本質や、日本の「隠す文化」の歪み。次回から、Sさんという圧倒的な当事者からの「証言」を拠り所に、あの密室で起きている感覚のエラーと尊厳の死について、泥臭く、真正面から格闘してみようと思います。


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