【No.062】『透明な暴力』としてのマンモグラフィー —— 3Dの女性性を2Dへ圧殺する機械

空間と装置

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本ブログは、医療空間における権力構造や、そこに生じる心理的な嫌悪感・ざわつき等を分析・考察するものです。特定の医療機関や従事者を非難・攻撃するつもりはありませんが、記事の性質上、医療現場の生々しい実態や直接的な表現が含まれる場合があります。ご自身の心身の状況に合わせて、無理のない範囲で閲覧をご判断ください。詳しくはサイトポリシーをご一読ください。

こんにちは、御簾納です。

これまで、ノートの切れ端をめくりながら、下半身(内診台や脱衣所)の空間ばかりを語ってきましたが、ふと視点を上に移してみると、また別の残酷な空間の権力が見えてきます。

今回は「上半身の密室」、つまり乳房(おっぱい)が医療空間でどのように扱われているかについてのメモです。

Sさんに内診台の暴力性についてこってり絞られた後遺症か、視線を上に移してみても、どうしても空間の暴力性ばかりが目についてしまいます。

……と、軽い気持ちで書き始めたのですが、書いているうちに妙なことに気づいてしまいました。

生身の人間の手が介入する前に、まずはこの空間に君臨する「ある機械」について語らなければなりません。乳がん検診で用いられる「マンモグラフィー(乳房X線検査)」です。

女性の乳房を台の上に載せ、透明なアクリル板で挟み込み、限界まで「平ら」に押し潰して撮影する機械です。少しでも厚みがあると病変が見えにくくなるため、放射線技師は容赦なく乳房を引っ張り出し、ペラペラになるまで圧迫します。経験した女性たちは「ちぎれるかと思った」「息が止まるほど痛い」とその凄惨な痛みを語ります。

乳房とは本来、丸みや柔らかさという、女性の身体におけるエロティシズムの象徴です。男の本能が執着するその「立体的な膨らみ(3D)」を、医療機械は物理的な圧力によって徹底的に破壊し、一枚のペラペラな白黒のデータ(2D)へと変換してしまう。ここまでは、まあ、いつも通りの話です。女性性の物理的な解体、とでも言っておけばそれらしく収まります。

問題は、テレビです。

ニュース番組の乳がん検診特集などで、マンモグラフィーに挟まれている胸の映像が、意外とそのまま流れることがあります。啓蒙目的とはいえ、あれは女性の裸の胸です。下半身の露出が絶対的なタブーとして扱われているのと比べると、扱いがまるで違う。

なぜ胸は許されるのか。

答えは簡単で、平らに潰された乳房からは、男のエロティシズムを喚起する要素が抜け落ちているからでしょう。立体としての魅力を物理的に奪われた乳房は、もはや猥褻なものではなく、ただの「医療用の生肉データ」として社会に許容される。

……という具合に、いつもの調子で書いていたのですが、どうも妙なのです。

これはつまり、あの機械の中で、女性は本当に「検体」になれているということではないでしょうか。

Sさんに言われたことを、私はまだ覚えています。女性がどれだけ自分を殺して無機質な検体になりきろうとしても、男のエロい視線がある限り、絶対にそれは成立しない。マンコはどこまで行ってもマンコであって、それ以上でもそれ以下でもない、と。

あれで私は完全に打ちのめされ、しばらく更新も止めたわけです。

ところが乳房の方は、平らに潰しさえすれば、ゴールデンタイムの報道番組に堂々と映って、誰も騒がないわけです。厚みを奪うという、ただそれだけの物理的な操作で、社会はあっさりと「見てよいもの」に分類してしまう。そんな単純な話だったのかと拍子抜けするような、それでいて何か嫌なものを飲み込んだような気分になります。

もっとも、これを「よかったですね」と言う女性は一人もいないでしょう。ちぎれるかと思うほど痛い思いをして、ようやく猥褻でなくなる。検体になるための通行料が、それです。

いや、そもそも、比べるものを間違えているのかもしれません。マンコと乳房では、そもそも社会での扱いが違う。

このあたりは、まだうまく言葉になりません。ノートの切れ端なので、答えが出ないまま置いておきます。

それでは、また気が向いた時に。

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