【No.053】洗えない場所 —— 医師の絶対的優位と、男の二重の敗北

権力と医療倫理

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本ブログは、医療空間における権力構造や、そこに生じる心理的な嫌悪感・ざわつき等を分析・考察するものです。特定の医療機関や従事者を非難・攻撃するつもりはありませんが、記事の性質上、医療現場の生々しい実態や直接的な表現が含まれる場合があります。ご自身の心身の状況に合わせて、無理のない範囲で閲覧をご判断ください。詳しくはサイトポリシーをご一読ください。

こんにちは、御簾納です。

前回、私は空間社会学者としての完全な敗北を宣言しました。

私はかつてこのブログの初期に、待合室にいる夫が抱くジェラシーや喪失感について考察したことがあります。しかし、あの内診室という空間には、精神的なジェラシーなどという生ぬるい言葉では済まされない、男のプライドを物理的に粉砕するもう一つの残酷な権力構造が横たわっています。

それは、どれほど夫が妻の身体を知り尽くしていると自負していようとも微塵も揺るがない、「医師の絶対的優位」という事実です。

——ただ、この優位の中身を、私はしばらく取り違えていました。

最初、私はこう考えていました。女性が必死に隠そうとしている生々しい現実を、医師は強い光の下で容赦なく暴いている。夫が見ているのは整えられた姿にすぎず、医師だけが本当のところを見ている、と。

しかし、これは順序が逆でした。

前回書いた通り、彼女たちは婦人科に行く前、二回も三回も洗っています。生理と重なれば予約を取り直すことすらある。つまり医師が対面しているのは、彼女の日常の中で最も入念に準備された状態です。

生の現実に近いものを見ているのは、むしろ、洗っていない日の彼女と暮らしている夫の方でしょう。

では、医師の優位はどこにあるのか。

内側です。

外側は洗えます。二回でも、三回でも、血が出るまででも。しかし腟の内壁も、その奥の子宮頸部も、彼女には見えません。手も届かない。どれだけ念入りに準備しようとしても、そこだけは準備のしようがない。

そして同時に、そこは夫が一度も見たことのない場所でもあります。何年連れ添っていようと、どれだけ身体を重ねていようと、あの器具なしには到達できない。

医師の絶対的優位とは、彼女が隠したものを暴くことではありませんでした。

彼女が準備できない場所を、彼女より先に見ているということです。

——ここで、前回までの話が繋がってきます。

彼女たちは、自分を「検体」にしようとしていました。人格を切り離し、ただのサンプルとして処理されることで、あの時間をやり過ごそうとしていた。そのために、洗える場所は洗い尽くした。

しかし、洗えない場所がある。

そこが見られるということを、彼女は知っています。準備できないまま差し出す部分が必ず残るということを、知った上で台に上がっている。検体になる計画は、器具が入る前から、すでに一部が破綻しているのです。

そして、夫の側の話です。

「俺すら見たことのない場所を、あの白衣の男は見ている」

この情報の非対称性が、男の胸の奥底に、得体の知れない昏い情念を植え付けます。

自分では絶対に到達できない場所に、他人が業務として日常的に到達している。しかも、こちらにはそれを止める権利も、立ち会う資格もない。妻に何が行われたのかを詳しく聞くことすら、なんとなく憚られる。

嫉妬と呼ぶには、対象が漠然としすぎています。相手を憎むこともできない。医師は仕事をしているだけで、何一つ責められることをしていないからです。それでも、ざわつく。

前々回、私は手袋一枚について、責める相手のいない加害という言い方をしました。

これも、同じ形をしています。誰も間違っていない。誰も責められない。それでも、待合室の椅子で、男は自分が締め出されていることを理解します。

女性の尊厳を削り取り、同時に見守る男のプライドをも解体してしまう。この部屋は、そこにいる全員を、少しずつ無力にしていきます。

空間社会学者としての傲慢を打ち砕かれ、さらに一人のオスとしてのプライドすらも医療システムの前で無力化された私の中に、あるひとつの疑問が浮かび上がりました。

この冷徹な「医療のまなざし」が、もし我々【男自身の身体(シモ)】に向けられたとき、そこには一体何が起きるのでしょうか?

私はその答えを探すため、恐るべきある「映像」に行き着くことになりました。

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