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本ブログは、医療空間における権力構造や、そこに生じる心理的な嫌悪感・ざわつき等を分析・考察するものです。特定の医療機関や従事者を非難・攻撃するつもりはありませんが、記事の性質上、医療現場の生々しい実態や直接的な表現が含まれる場合があります。ご自身の心身の状況に合わせて、無理のない範囲で閲覧をご判断ください。詳しくはサイトポリシーをご一読ください。
こんにちは、御簾納です。
Sさんからの「綺麗事抜きの現実を直視する覚悟はあるか」という最後通牒を受け、私は数日後、彼女の婦人科検診に付き添うことになりました。
もちろん、男である私が診察室の奥まで入るわけではありません。私は待合室まで同行し、検診を終えた彼女から「あのカーテンの向こう側で何が起きていたのか」を直接ヒアリングするという、空間社会学における極めて泥臭いフィールドワークです。
平日の夕方。クリニックの待合室は、仕事帰りの女性たちで静かに混み合っていました。そこにいる男は、私一人でした。
私はこれまでこのブログで、「空間の入り口から男が排除されている」「社会が過剰にタブー視しているからだ」と、安全な書斎から偉そうに社会を批判してきました。しかし、いざ自分がその待合室のソファに座ってみると、途方もない疎外感と居心地の悪さに冷や汗が出ました。
Sさんの隣に座って待っている間も、周囲の女性たちが私を睨んでいるわけではありません。しかし空間全体から、「なぜ無関係の男がここにいるのか」「私たちのデリケートな領域に踏み込むな」という、見えない圧力が肌を刺すように伝わってくるのです。
やがて名前を呼ばれ、Sさんが診察室の奥へと消えていきました。一人残された約10分間、私はいよいよ完全な異物となり、まるで侵入者のように息を潜めてスマホの画面を見つめることしかできませんでした。
男たちが婦人科という空間から目を背け、無関心を装う理由の片鱗を、私は入り口の段階で早くも思い知らされていました。
診察と会計を終えたSさんとともにクリニックを出た私は、近くの少し照明の落ちた喫茶店に入りました。隣の席との間隔が広く、他者に会話が漏れない奥の角席に陣取ると、彼女の口から研究者としての極めて冷静な視点で解剖された、あの「電動内診台」がもたらす暴力的な感覚のハックについて語られ始めました。
「ウィーンってモーター音が鳴って、勝手に足が開かれていくときさ、なんというか『あ、自分から身体のコントロール権を取り上げられたな』って感じるんだよね。自分で足を開くのも抵抗があるけど、機械に強制的に開かれて固定されるのって、人間としての主導権を放棄させられるというか、完全にまな板の上の鯉にされる感覚があるんだよ」
私は息を呑みました。
日本の内診台は、「自らの意思で見知らぬ医師の前に股を開く」という女性の羞恥心を軽減するために、その動作を全自動化しました。私はそれを「日本特有のホスピタリティの暴走」だと考えていました。
しかし、彼女が身をもって突きつけた現実は、もっと残酷なものでした。機械の力で強制的に足を開かれることで、女性は「恥ずかしい思いをする手間」を免除されたのではない。「自分の身体のコントロール権(主権)」を完全に没収されてしまったのです。
さらに彼女は、機械によって完全に開脚させられ、固定された状態の感覚を、こう表現しました。
「あのね、機械で完全に足を開かれて固定された状態って……なんというか、すごくフラットに『空気に触れてる』って感じがするんだよ。普段は服や下着で絶対に隠れているパーソナルな場所が、ただの『作業スペース』として外気に晒されてる、あの独特の違和感」
この言葉の圧倒的なリアリティに、私は戦慄しました。
「空気に触れる」。
彼女が選んだのが、この言葉だったことに、私は引っかかりました。恥ずかしい、でもない。痛い、でもない。空気に触れる。
そして、そこを「作業スペース」と呼んだ。普段は下着に守られ、他人はおろか自分でも滅多に直視しない場所が、そこでは、ただの作業対象として、外気の下に置かれている。
恥ずかしいかどうか、ではないのです。 恥ずかしさは、まだ自分のものです。恥ずかしがる主体が、そこにいる。しかし彼女が語ったのは、その主体ごと脇に置かれる感覚でした。
私がさきほど待合室で感じていた居心地の悪さなど、比較にもなりません。私は、いつでも立ち上がって、あの建物を出ることができました。
彼女は、足を固定されていました。
優しさと配慮でコーティングされた全自動化が、彼女から取り上げたもの。それは、恥ずかしさではありませんでした。
これが、彼女の証言の、まだ一つ目です。


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