メディアと表象

【No.017】かつての映像作品に見る「まなざしの搾取」――権力装置としての内診台

こんにちは、御簾納です。前回は、現代のテレビドラマがいかに産婦人科の密室を「綺麗に漂白」しているかについて語りました。しかし、今回は少し視点を変えます。表現の制約が現在よりもずっと緩やかだった、一昔前の映像作品に目を向けると、この空間の描か...
メディアと表象

【No.016】ドラマが描かない「パステルカラーの椅子」――テレビはいかにして密室を漂白したか

こんにちは、御簾納です。熊田曜子氏の事例を通じて、現実の女性が「実際の診察風景」を公開した際の社会の拒絶反応について考えました。では、社会を映す鏡であるはずの「メディア」は、普段この空間をどのように描いているのでしょうか。例えば、プライムタ...
社会とジェンダー

【No.015】晒すことの勇気と社会の限界(後編)――「まなざし」の成熟を阻むもの

こんにちは、御簾納です。前回に続き、熊田曜子氏の婦人科検診動画について考えます。彼女が自らの身体を張って「検診の重要性」を啓蒙したにもかかわらず、なぜ一部の層はそれを下世話に消費し、あるいは「わざわざ見せるなんてはしたない」とバッシングに走...
社会とジェンダー

【No.014】晒すことの勇気と社会の限界(前編)――熊田曜子氏の検診動画が問うたもの

こんにちは、御簾納です。前回は、内診室のカーテンが「不本意に開かれた」事件について考察しましたが、今回はその逆とも言える事象――「自らの意思で密室を可視化した」事例について、少し掘り下げてみたいと思います。数年前、タレントの熊田曜子氏が、自...
空間と装置

【No.013】シュレディンガーの密室(後編)――私たちは「覗き見の誘惑」を断ち切れるか

こんにちは、御簾納です。女性インフルエンサーのカーテン事件についての考察、最終回です。医師はなぜ、診察中にわざわざカーテンを開けたのか。「直接顔を見て対話するため」や「痛がっていないか表情を見るため」といった純粋な医療目的の建前はいくらでも...
空間と装置

【No.012】シュレディンガーの密室(中編)――同情の声と、「自意識過剰」という二次加害

こんにちは、御簾納です。前回の続きです。内診中に医師に突然カーテンを開けられ、顔と下半身を見下ろされたという女性インフルエンサーの告発について考えています。彼女がYouTubeでこの恐怖と不快感を打ち明けた際、ネット上では多くの反響が巻き起...
空間と装置

【No.011】シュレディンガーの密室(前編)――突然開かれたカーテンが破壊したもの

こんにちは、御簾納です。今回から3回にわたり、数年前にネット界隈で大きな議論を呼んだ「ある女性インフルエンサーの告発」について、空間社会学と権力構造の視点から深く掘り下げてみたいと思います。その事件は、彼女が婦人科で内診を受けている最中に起...
メディアと表象

【No.010】「私は神だ」――映画『冷たい月を抱く女』に見る、医療パターナリズムの極致

こんにちは、御簾納です。今回は、少し息抜きも兼ねて、私の趣味である映画の話をさせてください。以前、クローネンバーグ監督の『戦慄の絆』を取り上げましたが、今日も90年代の医療サスペンスから、ある強烈なテーマを持った作品をご紹介したいと思います...
権力と医療倫理

【No.009】産婆のコミュニティから近代医学へ――「まなざし」が男性化された歴史

こんにちは、御簾納です。日本の内診室にはなぜ「カーテン」が必要だったのか。その根本的な理由を探るためには、空間の構造だけでなく、日本の近代医療史を少し遡る必要があります。江戸時代から明治の初期にかけて、日本における女性の出産や特有の病のケア...
空間と装置

【No.008】診察室の空間ヒエラルキー――「対話の机」から「処置の台」への移行

こんにちは、御簾納です。今回は、私の専門領域に近い「空間社会学」の視点から、婦人科クリニックの建築的なレイアウトが、医師と患者の権力関係をどのように変化させているかについて考察してみたいと思います。一般的な婦人科の診察プロセスは、空間の移動...