メディアと表象

【No.047】産科の『聖』と婦人科の『俗』―― 1990年のまなざしを解剖する(箸休め)

こんにちは、御簾納です。Sさんからの強烈な証言に直面し、私の狂気じみた考察の熱量にあてられて、少し息苦しさを感じている読者もいるかもしれません。今回は少し視点を変え、箸休めとして、まだ緩やかだった時代のメディアがいかにこの空間をいびつに消費...
空間と装置

【No.046】金属の侵入と聴覚の拷問 —— Sさんとの対話(2)

こんにちは、御簾納です。Sさんとの対話は続きます。「空気に触れる」という剥き出しの現実を強いられた直後、内診台の上の女性には「分厚いカーテン」が引かれます。私はかつて(【No.040】で)、このカーテンは患者のためではなく、医師が感情を切り...
空間と装置

【No.045】待合室の疎外感と、自動開脚のパラドックス —— Sさんとの対話(1)

こんにちは、御簾納です。Sさんからの「綺麗事抜きの現実を直視する覚悟はあるか」という最後通牒を受け、私は数日後、彼女の婦人科検診に付き添うことになりました。もちろん、男である私が診察室の奥まで入るわけではありません。私は待合室まで同行し、検...
空間と装置

【No.044】妻たちの『消去法』とデザイン論への逃避 —— Sさんからの最後通牒

こんにちは、御簾納です。一連の考察は前回【No.043】でひとまずの区切りとし、このブログは記録として残しておくと宣言したばかりでした。しかし、私は早々に自らの不明を恥じ、再びこの重苦しい空間の扉を開けなければならなくなりました。休載期間中...
空間と装置

【No.043】カーテンが引かれる日――私たちが本当に直視すべきもの(最終回)

こんにちは、御簾納です。これまで、婦人科という「隠された空間」における権力構造や、メディアの欺瞞、そしてパステルカラーの内診台がもたらす無力化について、私なりの空間社会学の視点から考察を重ねてきました。一つのテーマについて語るべきことは、お...
空間と装置

【No.042】歪んだ禁足地――私たちは何を隠し、何を直視すべきか

こんにちは、御簾納です。過去3回にわたり、カーテンと全自動内診台という2つの装置が、いかに「女性への配慮」を装いながら、実際には「医療側の利便性と支配(まなざしの独占)」のために機能しているかを考察してきました。日本の婦人科は、この2つの強...
空間と装置

【No.041】「最適な視野」への強制――全自動内診台が奪ったもの

こんにちは、御簾納です。今回は、パステルカラーの電動内診台についてです。日本の産婦人科に広く普及している電動内診台。その進化のルーツには、「理容・美容椅子(バーバーチェア)」などの技術が深く関わっていることは、空間社会学的に非常に興味深い事...
空間と装置

【No.040】カーテンという名の欺瞞――それは一体「誰のため」の目隠しなのか

こんにちは、御簾納です。日本の内診室を象徴する、下半身と上半身を分断する分厚いカーテン。これまで女性たちは、少しでも羞恥心を和らげるため、あるいは現実逃避をするため、この布切れの存在に深く依存してきました。「顔が見えないから安心できる」。そ...
空間と装置

【No.039】ガラパゴス化する密室――世界基準から逸脱した日本の「過剰な装置」

こんにちは、御簾納です。このブログではこれまで、婦人科という空間の異常性について様々な角度から考察してきましたが、ここへ来て、あえて「空間の前提」そのものを疑ってみたいと思います。日本の婦人科に必ず存在し、私たちが「あって当然のもの」と思い...
権力と医療倫理

【No.038】分類という名の征服――笠井寛司博士と『日本女性の外性器』

こんにちは、御簾納です。空間社会学、あるいは医学史の裏側を覗こうとする者にとって、避けては通れない一冊の「奇書」があります。1995年に出版された、笠井寛司博士による膨大な記録集、『日本女性の外性器』です。この本は、医学書という体裁をとりな...