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こんにちは、御簾納です。
先日、人間ドックの案内が届きました。
毎年のことなので、いつもなら申込書の自分の欄だけ埋めて終わりにするのですが、その日はよほど暇だったのか、オプション検査の一覧を最後のページまで眺めていました。脳ドック、胃カメラ、肺のCT、と来て、その先に「女性の方へ」というページがあり、乳がん検診や子宮頸がん検診と並んで、「経腟超音波検査」という項目が載っています。
引っかかったのは、その下に添えられていた、小さな注意書きの方でした。
「一度も性行為の経験がない方には不向きな検査です」
健康診断の案内というのは、世の中の印刷物の中でも、とりわけ色気のない部類に入るはずです。身長や体重や血圧や、空腹時の採血といった乾いた言葉ばかりが並んでいるページの片隅に、いきなり「性行為の経験」という言葉が、しれっと座っている。しかも、その検査を受けられるかどうかを、病気でも年齢でもなく、それで分けている。
しばらく、そのページから目が離せませんでした。どうやら、これが今回の違和感のようです。
エコーなら、私にも多少の覚えがあります。以前(【No.076】)、健康診断の腹部エコーで、技師さんの「んー」の一言に振り回された話を書きましたが、あのとき、お腹に塗られたゼリーがやけに冷たかったのを、今でもよく覚えています。それに考えてみれば、このブログで散々婦人科の話をしてきたわりに、経腟エコーそのものを正面から取り上げたことは、一度もありませんでした。
そんなわけで、半分くらいは経験者のつもりで調べ始めたのですが、お腹の上と中とでは、どうも話がまるで違うらしい、ということがすぐに分かってきました。男の私が知っているのは、せいぜいゼリーの冷たさまでで、その先は、相変わらず禁足地なわけです。
経腟エコーというのは、腟の中から超音波を当てて、子宮や卵巣を覗く検査です。お腹の上から当てるより近いぶん、ずっとはっきり映るのだそうで、妊娠のごく初期に、まだ小さな袋が見えるかどうかを確かめるのも、たいていはこれだと聞きます。使うのはプローブと呼ばれる棒状の器具で、細い棒、と呼ぶには少々太い。
この棒には、入れる前に薄いカバーをかぶせます。
専用のカバーも売られてはいるのですが、ある産婦人科の先生のブログを読んでいたら、うちでは普通のコンドームをかぶせます、と、実にあっさり書いてありました。プローブのコンドームはゴム製なので、ゴムアレルギーの人は最初に教えてください、とも添えてある。一方で、内診に使う手袋の方はプラスチック製なので、アレルギーがあっても大丈夫なのだそうです。
調べてみると、これは別にその医院に限った話ではないようで、海外では、コンドームと専用カバーのどちらが破れにくいかを比べた研究まであり、昔の研究ではコンドームに軍配が上がっていたりもします。国内の専用カバーにしても、少なくとも一つは、コンドームでおなじみの相模ゴム工業が作っていました。餅は餅屋、ということなのでしょう。
カバーをかぶせたら、次はゼリーです。
カバーの内側にも外側にも塗るのだそうで、私はてっきり、すべりを良くするためのものだとばかり思っていたのですが、実はもう一つ大事な役目があって、超音波というのは空気をひどく嫌うので、器具と身体のあいだの隙間から空気を追い出しておかなければならないらしいのです。私のお腹に冷たいゼリーがたっぷり塗られたのも、同じ理由だったのでしょう。すべりの方は、入れるときの痛みを少しでも減らすため。どちらにしても、しごく実務的な代物のようです。
さて、肝心のあの注意書きです。
理由は、ちゃんとありました。性行為の経験がない人には、経腟エコーは基本的にやらず、代わりにお腹の上から当てるか、あるいはお尻の方から(経直腸といいます)診るのだそうです。婦人科の問診票に性交経験の有無を聞く欄があるのも、ひとつにはこのためらしい。痛みや、傷つけてしまうおそれといった、しごくまっとうな理由です。
それは分かります。分かるのですが、あの棒を入れてよいかどうかを決める物差しの名前が、『性交経験』なのです。物差しを使う理由はまっとうな医学でも、その目盛りに書いてある言葉の方は、どうしても別のものを連想させる。理由が分かったところで、案内の片隅で覚えた引っかかりの方は、少しも小さくなってくれませんでした。
なぜ小さくならないのか。ここからは、私自身の話になります。
カバーをかぶせ、ゼリーを塗って、入れる。手順だけを紙に書き出してみると、男の頭にどんな絵が浮かんでしまうかは、わざわざ書くまでもないでしょう。医療の手順を説明しているだけなのに、言葉の並びが、どうしても別の手順に似てしまう。あの注意書きに目が止まったのも、たぶん、医療の文書に場違いな言葉が出てきたから、というだけではなかったのだと思います。その言葉に、こちらの頭の方が、勝手に反応してしまった。これは、白状しておかなければならないことでしょう。
部屋の方も、そのあたりは百も承知なのでしょう。カバーに手袋、付き添いの看護師さん、「はーい、力抜いてくださいねー」という、いかにも事務的な声かけ、そしてカーテン。あの部屋の小道具は、どれもこれも、その絵を壊す方向に働いているように見えます。ところが、壊すための小道具を一つずつ数えていくと、その中に、よりによってコンドームが混じっている。これには、さすがに苦笑してしまいました。
もちろん、だからといって、医師がそういう目で見ているということにはなりません。医師があの棒を握りながら何を思っているのかは、相変わらず私には分かりませんし、台の上の女性の方は、たぶんそれどころではないでしょう。この絵がどこで生き残っているのかについては、以前、自分の口が滑った一件で嫌というほど思い知らされていますので、ここでは繰り返しません。残っているとすれば、こうして文章を書いている男の頭の中、ということになるのだと思います。
ただ、それだけでは片付かない気もしているのです。
あれほど念入りに絵を壊そうとしている部屋が、棒を入れてよいかどうかを決めるときにだけは、『性交経験』という物差しを持ち出してくる。私の頭の中だけにあると思っていた絵が、あの案内の片隅にも、小さな字で印刷されているように見えてしまう。なぜなのかは、まだうまく言葉になりません。ただ、あの一行だけが、いつまでも妙に引っかかっていて、これは何かに触れてしまったぞ、という確信めいたものだけが、手元に残っています。
ちなみに、自分の申込書の方は、こんなことを調べているうちにすっかり後回しになって、まだ机の上に載っています。
次回は、この絵をいちばん恐れているのが誰なのか、という話を書こうと思っています。
それではまた、次のふとした違和感の前で、お会いしましょう。


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