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本ブログは、医療空間における権力構造や、そこに生じる心理的な嫌悪感・ざわつき等を分析・考察するものです。特定の医療機関や従事者を非難・攻撃するつもりはありませんが、記事の性質上、医療現場の生々しい実態や直接的な表現が含まれる場合があります。ご自身の心身の状況に合わせて、無理のない範囲で閲覧をご判断ください。詳しくはサイトポリシーをご一読ください。
こんにちは、御簾納です。
今回は、パステルカラーの電動内診台についてです。
日本の産婦人科に広く普及している電動内診台。その進化のルーツには、「理容・美容椅子(バーバーチェア)」などの技術が深く関わっていることは、空間社会学的に非常に興味深い事実です。
顧客を心地よく座らせるための高度な油圧・電動技術が医療分野へと転用され、日本の内診台は独自の進化を遂げました。かつては患者自身が少し高い台によじ登る必要がありました。それが、座るだけで済むタイプになり、やがてスイッチ一つで昇降し、全自動で開脚まで行うシステムへと、段階的なアップデートが繰り返されてきたのです。
「自ら台に上り、自らの意思で脚を開くという恥ずかしく屈辱的な手間をなくすために、機械がすべて自動で動かしてあげる」。メーカーの設計者たちは、これを「女性患者の心理的・肉体的な負担を和らげるための最大の配慮(善意)」として開発したはずです。威圧感を与えないような可愛らしいパステルカラーが採用されているのも、その一環でしょう。
しかし、空間社会学の視点でこの進化を俯瞰した時、この「技術による優しさ」は、極めて残酷なパラドックスを生み出していることに気がつきます。
色がピンクであろうがグリーンであろうが、この機械がもたらした結果は、「女性から身体のコントロール権を奪い取る、徹底した自動化」の完成でした。
電動内診台が導入される以前、あるいは簡素な台を使う欧米では、女性が自らの意思で脚を開きます。当然、羞恥心や恐怖から無意識に少し脚を閉じてしまったり、腰が引けてしまう女性もいたはずです。
脚が閉じれば、診察は止まります。機械が代わりに開いてくれない以上、医師はそこで何かを言うか、待つかしかありません。当時の医師が優しかったという話ではありません。優しくなくても、その一往復だけは、物理的に発生した、という話です。
しかし、「全自動化」という技術は、善意から出発したにもかかわらず、結果としてこのプロセスを完全に破壊してしまいました。
スイッチ一つで、女性の意思とは無関係に、脚が開かれ、腰が最も観察しやすい高さへと持ち上げられる。ためらう余地は、設計に含まれていません。
女性が本能的に抱く「脚を閉じる・ためらう」という人間としての抵抗の余地すらも機械の力で無効化し、最も観察しやすい座標へと強制的に固定する。まるで機械そのものが、医師に対して「最適な視野が確保できました。どうぞ隅々まで診てください」と、患者の最も無防備な身体を恭しく差し出しているかのような、システムの冷酷な合理性がそこにはあります。
これこそが、電動内診台がもたらす構造的な問題です。
あのパステルカラーの機械は、単に女性の羞恥心に配慮しているのではなく、「医療側が患者の心理的なためらいと向き合うプロセスを省略し、極限まで効率よく患部にアクセスするための、一方的な空間管理の装置」として機能してしまっているのです。


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