メディアと表象

メディアと表象

【No.080】カメラが座った場所 —— 映画『あのこと』について

こんにちは、御簾納です。今日は映画の話です。フランス映画『あのこと』(原題 L'Événement、2021年)。1960年代、中絶が違法だったフランスが舞台です。貧しい労働者階級の家に生まれ、知性と努力で大学に進んだアンヌという学生が、試...
メディアと表象

【No.075】男の理想郷の崩壊 —— 映画『Dr. Tと女たち』とベビーフェイスの引力

こんにちは、御簾納です。重苦しい空間論のメモが続いたので、今回は少し気分を変えて、私の趣味である映画の話でもしましょうか。ロバート・アルトマン監督の映画『Dr. Tと女たち』(2000年)です。先に断っておくと、これは傑作とまでは言えません...
メディアと表象

【No.069】自ら語る「胸」と、暴かれる「性器」 —— 二つの事件が示すタブーの境界線

こんにちは、御簾納です。美容外科の話題を続ける中で、この領域が社会でどう消費されているかについて、手元のノートから2つの象徴的な事件のメモを引っ張り出してみます。この2つの事案を対比することで、女性の身体における「タブーの境界線」が極めて残...
メディアと表象

【No.047】産科の『聖』と婦人科の『俗』―― 1990年のまなざしを解剖する

こんにちは、御簾納です。今回は、少し視点を変えます。Sさんの証言からいったん離れて、まだ緩やかだった時代のメディアが、この空間をどう扱っていたかを、古い映画から紐解いてみたいと思います。軽い回にするつもりでした。結果としては、そうなりません...
メディアと表象

【No.037】ポルノが直視できなかった密室――私の研究の原点と「リアル」の限界

こんにちは、御簾納です。今回は、私がなぜ「婦人科という空間」にこれほどまでに執着し、自費で研究を重ねてこのブログを開設するに至ったのか。その「原点」とも言えるあるエピソードについてお話ししたいと思います。かつて私は、空間の使われ方や視線の構...
メディアと表象

【No.025】消えたドキュメンタリーと失われた機会――メディアの事勿れ主義がもたらしたもの

こんにちは、御簾納です。前回は映画『ロマンスX』を引き合いに、隠蔽や美化を排した内診室の現実について考察しました。今回はひるがえって、日本のメディア(特にテレビのドキュメンタリー)がこの空間とどう向き合ってきたかについて、少し時代を遡って振...
メディアと表象

【No.024】物質としての肉体と孤立――『ロマンスX』が描いた内診の冷徹さ

こんにちは、御簾納です。前回、西洋映画における「まなざしの倫理」について触れましたが、映像史にはもう一つ、全く別のアプローチで女性の身体の真実に迫ろうとした極めて重要な作品があります。カトリーヌ・ブレイヤ監督の1999年の映画『ロマンスX』...
メディアと表象

【No.023】まなざしの倫理――西洋映画が提示する「隠蔽」と「露出」の先にあるもの

こんにちは、御簾納です。ここ数回にわたり、メディアが女性の身体と診察室をどう扱ってきたかについて考察してきました。現代の日本のテレビドラマは臭い物に蓋をするように「綺麗に隠蔽」し、一昔前の映像作品は「権力とエロスの装置として搾取」し、最近の...
メディアと表象

【No.022】メディアにおける身体の境界線(後編)――無修正の現実と、「綺麗な蝶」という暴力

こんにちは、御簾納です。前回はドイツのコメディ番組を例に、西洋のフラットな身体表現について語りました。今回はその「ありのままを映す」というアプローチが極端な形で現れている、現代のネットメディアの事例を取り上げます。YouTubeなどの動画プ...
メディアと表象

【No.021】メディアにおける身体の境界線(前編)――ドイツのお茶の間に流れた「無修正の日常」

こんにちは、御簾納です。前回は日本と欧米の実際の「診察室の設備」について比較しましたが、今回は視点をメディアに戻し、「欧米の映像作品において、人間の身体の生々しい現実がどう扱われているか」について考えてみたいと思います。少し個人的な思い出に...