空間と装置

【No.013】シュレディンガーの密室(後編)――私たちは「覗き見の誘惑」を断ち切れるか

こんにちは、御簾納です。女性インフルエンサーのカーテン事件についての考察、最終回です。医師はなぜ、診察中にわざわざカーテンを開けたのか。「直接顔を見て対話するため」や「痛がっていないか表情を見るため」といった純粋な医療目的の建前はいくらでも...
空間と装置

【No.012】シュレディンガーの密室(中編)――同情の声と、「自意識過剰」という二次加害

こんにちは、御簾納です。前回の続きです。内診中に医師に突然カーテンを開けられ、顔と下半身を見下ろされたという女性インフルエンサーの告発について考えています。彼女がYouTubeでこの恐怖と不快感を打ち明けた際、ネット上では多くの反響が巻き起...
空間と装置

【No.011】シュレディンガーの密室(前編)――突然開かれたカーテンが破壊したもの

こんにちは、御簾納です。今回から3回にわたり、数年前にネット界隈で大きな議論を呼んだ「ある女性インフルエンサーの告発」について、空間社会学と権力構造の視点から深く掘り下げてみたいと思います。その事件は、彼女が婦人科で内診を受けている最中に起...
メディアと表象

【No.010】「私は神だ」――映画『冷たい月を抱く女』に見る、医療パターナリズムの極致

こんにちは、御簾納です。今回は、少し息抜きも兼ねて、私の趣味である映画の話をさせてください。以前、クローネンバーグ監督の『戦慄の絆』を取り上げましたが、今日も90年代の医療サスペンスから、ある強烈なテーマを持った作品をご紹介したいと思います...
権力と医療倫理

【No.009】産婆のコミュニティから近代医学へ――「まなざし」が男性化された歴史

こんにちは、御簾納です。日本の内診室にはなぜ「カーテン」が必要だったのか。その根本的な理由を探るためには、空間の構造だけでなく、日本の近代医療史を少し遡る必要があります。江戸時代から明治の初期にかけて、日本における女性の出産や特有の病のケア...
空間と装置

【No.008】診察室の空間ヒエラルキー――「対話の机」から「処置の台」への移行

こんにちは、御簾納です。今回は、私の専門領域に近い「空間社会学」の視点から、婦人科クリニックの建築的なレイアウトが、医師と患者の権力関係をどのように変化させているかについて考察してみたいと思います。一般的な婦人科の診察プロセスは、空間の移動...
空間と装置

【No.007】密室の音響学――「モノ」へと切り替わるスイッチの音

こんにちは、御簾納です。今回は、あのパステルカラーの内診台が支配する空間について、「視覚」ではなく「聴覚」の側面から解剖してみたいと思います。当然のことながら、男性である私はその密室の中で実際に診察を受けた経験はありません。しかし、以前付き...
空間と装置

【No.006】待合室の「見えない壁」――付き添いの男性たちが感じる居心地の悪さ

こんにちは、御簾納です。今回は、診察室という「密室」の手前にある空間、すなわち「待合室」について考えてみたいと思います。産婦人科の待合室は、医療機関の中でも独特の空気を持っています。女性の患者たちが静かに順番を待つ中、時折、パートナーと思し...
社会とジェンダー

【No.005】「産科」の神聖と「婦人科」のタブー――二つに引き裂かれた身体のゆくえ

こんにちは、御簾納です。当ブログではこれまで、内診台のカーテンや「デリケートゾーン」という言葉など、隠蔽の構造について考えてきました。今回は少し視点を変えて、私たちが普段何気なく目にしている「看板」の言葉から、社会の無意識の眼差しを解剖して...
メディアと表象

【No.004】医療のまなざしが狂気に変わる時――映画『戦慄の絆』が描くもの

こんにちは、御簾納です。このブログでは日本の日常に潜む空間のタブーについて綴っていますが、息抜きも兼ねて、今日は私の趣味である映画の話を少しさせてください。私は昔から、人間の深層心理をえぐるようなサイコスリラーや医療サスペンス映画を好んで観...