メディアと表象

【No.023】まなざしの倫理――西洋映画が提示する「隠蔽」と「露出」の先にあるもの

こんにちは、御簾納です。ここ数回にわたり、メディアが女性の身体と診察室をどう扱ってきたかについて考察してきました。現代の日本のテレビドラマは臭い物に蓋をするように「綺麗に隠蔽」し、一昔前の映像作品は「権力とエロスの装置として搾取」し、最近の...
メディアと表象

【No.022】メディアにおける身体の境界線(後編)――無修正の現実と、「綺麗な蝶」という暴力

こんにちは、御簾納です。前回はドイツのコメディ番組を例に、西洋のフラットな身体表現について語りました。今回はその「ありのままを映す」というアプローチが極端な形で現れている、現代のネットメディアの事例を取り上げます。YouTubeなどの動画プ...
メディアと表象

【No.021】メディアにおける身体の境界線(前編)――ドイツのお茶の間に流れた「無修正の日常」

こんにちは、御簾納です。前回は日本と欧米の実際の「診察室の設備」について比較しましたが、今回は視点をメディアに戻し、「欧米の映像作品において、人間の身体の生々しい現実がどう扱われているか」について考えてみたいと思います。少し個人的な思い出に...
海外・比較文化論

【No.020】海を越えた内診室(後編)――「羞恥心」を隠す日本、「尊厳」を守る欧米

こんにちは、御簾納です。前回の続きとして、日本と欧米の婦人科における「思想の違い」について考察します。カーテンがなく、目線を合わせながら対話ベースで診察が進む欧米のスタイル。これを聞いて、多くの日本の女性は「顔を見られながら診察されるなんて...
海外・比較文化論

【No.019】海を越えた内診室(前編)――欧米に「パステルカラーの椅子」と「カーテン」がない理由

こんにちは、御簾納です。このブログではこれまで、日本の婦人科における「電動内診台」や「カーテン」がもたらす権力構造について考察してきました。しかし、そもそもこれらの設備は、世界共通の「医療のスタンダード」なのでしょうか。今回は少し視点を広げ...
メディアと表象

【No.018】隠す現代のテレビと、搾取したかつての映像の間で――失われた「中立的な身体」

こんにちは、御簾納です。ここまで2回にわたり、メディアが内診室という空間をどう描いてきたかを考察しました。現代のテレビドラマはそれを「美しく漂白して隠蔽」し、コンプライアンスが緩かった過去の映像作品群はそれを「権力とエロティシズムの装置とし...
メディアと表象

【No.017】かつての映像作品に見る「まなざしの搾取」――権力装置としての内診台

こんにちは、御簾納です。前回は、現代のテレビドラマがいかに産婦人科の密室を「綺麗に漂白」しているかについて語りました。しかし、今回は少し視点を変えます。表現の制約が現在よりもずっと緩やかだった、一昔前の映像作品に目を向けると、この空間の描か...
メディアと表象

【No.016】ドラマが描かない「パステルカラーの椅子」――テレビはいかにして密室を漂白したか

こんにちは、御簾納です。熊田曜子氏の事例を通じて、現実の女性が「実際の診察風景」を公開した際の社会の拒絶反応について考えました。では、社会を映す鏡であるはずの「メディア」は、普段この空間をどのように描いているのでしょうか。例えば、プライムタ...
社会とジェンダー

【No.015】晒すことの勇気と社会の限界(後編)――「まなざし」の成熟を阻むもの

こんにちは、御簾納です。前回に続き、熊田曜子氏の婦人科検診動画について考えます。彼女が自らの身体を張って「検診の重要性」を啓蒙したにもかかわらず、なぜ一部の層はそれを下世話に消費し、あるいは「わざわざ見せるなんてはしたない」とバッシングに走...
社会とジェンダー

【No.014】晒すことの勇気と社会の限界(前編)――熊田曜子氏の検診動画が問うたもの

こんにちは、御簾納です。前回は、内診室のカーテンが「不本意に開かれた」事件について考察しましたが、今回はその逆とも言える事象――「自らの意思で密室を可視化した」事例について、少し掘り下げてみたいと思います。数年前、タレントの熊田曜子氏が、自...