【No.011】シュレディンガーの密室(前編)――突然開かれたカーテンが破壊したもの

空間と装置

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本ブログは、医療空間における権力構造や、そこに生じる心理的な嫌悪感・ざわつき等を分析・考察するものです。特定の医療機関や従事者を非難・攻撃するつもりはありませんが、記事の性質上、医療現場の生々しい実態や直接的な表現が含まれる場合があります。ご自身の心身の状況に合わせて、無理のない範囲で閲覧をご判断ください。詳しくはサイトポリシーをご一読ください。

こんにちは、御簾納です。

今回から3回にわたり、数年前にネット界隈で大きな議論を呼んだ「ある女性インフルエンサーの告発」について、空間社会学と権力構造の視点から深く掘り下げてみたいと思います。

その事件は、彼女が婦人科で内診を受けている最中に起きました。

内診台に上がり、脚を開かれ、緊張に耐えていたまさにその時、医師によって突如として「カーテンを開けられた」というのです。彼女は自分の顔と下半身を見下ろされ、何とも言えない不快なまなざしを向けられた恐怖とトラウマをYouTubeで告白しました。

この事件が浮き彫りにしたのは、日本の内診室における「カーテン」が、いかに危ういバランスの上に成り立っているかという事実です。

以前から指摘しているように、日本の女性たちがカーテンに依存する最大の理由は、耐え難い無力感をやり過ごすための「心理的解離(自己の切り離し)」を行うためです。カーテンの向こう側にある下半身を「医療的に処理されるモノ」として切り離し、こちら側に残された顔だけを「社会的な私(人間)」として守り抜く。この強固なファイアウォールがあって初めて、あの内診台の上で精神の均衡を保つことができます。

しかし、患者が自ら視界を遮断し、「見ない権利」を行使するということは、同時に「監視する力」を手放すことでもあります。

カーテンの向こう側は、医師にとって「誰も監視していない、何をしてもバレない絶対的な安全圏」となります。患者は暗闇の中で身動きが取れず、医師は明るく照らされた患部を一方的に観察できる。これはまさに、哲学者のミシェル・フーコーが提唱した「パノプティコン(看守が見えない円形監視塔)」の構造そのものです。

医師が突如としてカーテンを開けた瞬間、このパノプティコンの残酷な真実が牙を剥きました。

カーテンが閉まっている間、女性は自分の下半身がどう見られているか(あるいは見られていないか)を確定させない「シュレディンガーの猫」のような状態で、ギリギリの安心を得ていました。しかしカーテンが開かれ、医師とまなざしが交錯した瞬間、そのファイアウォールは物理的に破壊されます。

医療という絶対的な大義名分を盾に、患者の同意なく一方的にカーテンを開け、視覚的優位に立つこと。彼女が受けたトラウマの正体は、単なる露出の恥ずかしさではありません。「医療現場のルール(プライバシーの保護)が、医師の気まぐれによっていとも簡単に踏みにじられる」という、圧倒的なシステム不全に対する恐怖だったのです。

この告発は、カーテンに依存した内診室のプライバシー保護がいかに無防備であり、医師への絶対的な依存の上に成り立っているかを浮き彫りにしました。

では、多くの女性たちから切実な共感が集まるその裏で、なぜ一部の層は彼女に対して冷酷なバッシングを浴びせずにはいられなかったのでしょうか。次回(中編)は、この告発を取り巻く「社会の反応」の歪みについて解剖します。

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