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本ブログは、医療空間における権力構造や、そこに生じる心理的な嫌悪感・ざわつき等を分析・考察するものです。特定の医療機関や従事者を非難・攻撃するつもりはありませんが、記事の性質上、医療現場の生々しい実態や直接的な表現が含まれる場合があります。ご自身の心身の状況に合わせて、無理のない範囲で閲覧をご判断ください。詳しくはサイトポリシーをご一読ください。
こんにちは、御簾納です。
日本の内診室にはなぜ「カーテン」が必要だったのか。その根本的な理由を探るためには、空間の構造だけでなく、日本の近代医療史を少し遡る必要があります。
江戸時代から明治の初期にかけて、日本における女性の出産や特有の病のケアは、主に「産婆」と呼ばれる女性たち、あるいは地域の年長女性たちのネットワークの中で行われていました。
そこにあるのは、同じ女性としての経験の共有であり、身体は日常の生活空間の中で、あけすけに、そして「水平なまなざし」で扱われていました。そこに過剰な羞恥心や、権力的な支配の構造は稀だったと言われています。
しかし、明治維新以降、日本が西洋医学を国家システムとして輸入したことで、状況は一変します。
医学は大学病院を中心とした権威ある学問体系となり、「医師」は事実上、男性が独占するエリートの国家資格となりました。この歴史的転換点において、女性の身体に関するケアは、女性たちのコミュニティから没収され、男性医師たちの「医学的観察の対象」へと移譲されたのです。
ここに、決定的なパラダイムシフトが起きました。
それまで日常の延長線上にあった女性の身体は、「病理を解明すべき客体」となり、男性医師が上方から見下ろす「垂直な(権力的な)まなざし」に晒されることになったのです。
(※この「女性の癒やし手から男性エリート医師への権力移行」という世界史的な構造については、バーバラ・エーレンライクとディアドリー・イングリッシュの共著『魔女・産婆・看護婦――女性医療者の歴史』で詳しく言及されています。非常に示唆に富む名著ですので、興味があればぜひ読んでみてください。)
日本の産婦人科に普及した「カーテン文化」は、この歴史的背景と無関係ではありません。
本来、異性の、しかも権威ある男性医師に自身の最もプライベートな部位を診られるというのは、当時の日本女性にとってとてつもない心理的障壁 (気まずさと羞恥)を伴うものでした。
その致命的な気まずさをなんとか緩和し、近代医療を社会に定着させるための「妥協の産物」として発明されたのが、日本の診察台特有の目隠しです。
歴史を紐解けば、大正~昭和初期の診察台にはすでに、女性の顔から胸元を覆い隠すための「幌(ほろ)」のようなアーチ状の目隠しが取り付けられていました。「顔が見えなければ恥ずかしくないだろう」という、日本特有の羞恥心への配慮から生まれた独自の文化です。これが時代とともに、現在のあの分厚い「カーテン」へと姿を変えました。
つまりカーテンは、女性の羞恥心を守るためのものであると同時に、「男性が女性の身体を一方的に観察・管理する」という新しく導入された不自然な権力構造を、視覚的にごまかすための装置でもありました。
現在、多くの素晴らしい女性医師たちが産婦人科医療の現場で活躍されていますが、医療システムや空間の設計思想そのものは、この「明治期に作られた男性優位の構造」から完全には脱却できていないように見受けられます。
歴史を知ることは、現在私たちが「当たり前」だと思っているシステムが、決して絶対的なものではないと気づかせてくれます。男性のまなざしを前提として作られたシステムから、すべての患者が安心して身体を委ねられるシステムへ。歴史の変遷を紐解きながら、その手がかりを引き続き探っていきたいと思います。


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