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本ブログは、医療空間における権力構造や、そこに生じる心理的な嫌悪感・ざわつき等を分析・考察するものです。特定の医療機関や従事者を非難・攻撃するつもりはありませんが、記事の性質上、医療現場の生々しい実態や直接的な表現が含まれる場合があります。ご自身の心身の状況に合わせて、無理のない範囲で閲覧をご判断ください。詳しくはサイトポリシーをご一読ください。
こんにちは、御簾納です。
このブログではこれまで、婦人科という空間の異常性について様々な角度から考察してきましたが、ここへ来て、あえて「空間の前提」そのものを疑ってみたいと思います。
日本の婦人科に必ず存在し、私たちが「あって当然のもの」と思い込んでいる2つの装置。すなわち【カーテン】と【電動内診台】についてです。
以前の記事でも少し触れましたが、改めて、諸外国との比較という視点を持ってみましょう。
欧米の婦人科において、日本のようにお腹の分厚いカーテンで医師と患者を遮断し、さらにスイッチ一つでウィーンと全自動で動く巨大な内診台を導入している国は、実は極めて稀です。
欧米の診察室の多くでは、カーテンはありません。診察台も、私たちが内科などで目にするような「フラットな簡易ベッド」の先に、足を乗せるためのシンプルな支え(鐙=あぶみ)が付いているだけです。
女性は自らの意思でベッドに横たわり、自らの意思で足を乗せ、医師と顔を合わせながら、フラットな対話の中で診察を受けます。
考えてみれば当然です。人間の身体は、簡易的なベッドさえあれば、およそ全ての部位の診察や治療が可能です。なぜ、日本の婦人科の「女性の生殖器」を診察する時だけ、あのような仰々しく、重装備の巨大な機械を使わなければならないのでしょうか。
日本では「恥じらいの強いアジアの女性への配慮」というもっともらしい理由で、このガラパゴス化した密室が形成されました。女性たちもまた、恥ずかしさから逃れるために、この日本特有の「見えない・何もしなくていいシステム」を歓迎し、すがりついてきました。
しかし、空間社会学の視点からこの装置の歴史と構造を解剖した時、そこに浮かび上がるのは「女性への優しさ」などではありません。次回は、女性たちが必死にすがりついてきた「カーテン」の本当の役割について解剖します。


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