【No.017】かつての映像作品に見る「まなざしの搾取」――権力装置としての内診台

メディアと表象

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本ブログは、医療空間における権力構造や、そこに生じる心理的な嫌悪感・ざわつき等を分析・考察するものです。特定の医療機関や従事者を非難・攻撃するつもりはありませんが、記事の性質上、医療現場の生々しい実態や直接的な表現が含まれる場合があります。ご自身の心身の状況に合わせて、無理のない範囲で閲覧をご判断ください。詳しくはサイトポリシーをご一読ください。

こんにちは、御簾納です。

前回は、現代のテレビドラマがいかに産婦人科の密室を「綺麗に漂白」しているかについて語りました。しかし、今回は少し視点を変えます。

表現の制約が現在よりもずっと緩やかだった、一昔前の映像作品に目を向けると、この空間の描かれ方は現代のテレビドラマとは全く異なります。

深夜のお色気番組や成人向けのビデオ作品などで、露骨な舞台装置として使われていたのは言うまでもありません。しかし驚くべきは、当時の一般的なテレビドラマや映画においてすら、男性視聴者の視線を無意識に組み込み、女性の無力さを強調する悲劇やエロティックなスパイスとして、唐突に内診シーンが挟まれるという「ゆるい(無神経な)」空気が蔓延していたことです。

人間の愛憎や権力を描く当時の作品群において、産婦人科の内診室は、しばしば「男性医師の圧倒的な権力と、女性の無力さ」を視覚的に強調するための舞台装置として都合よく搾取されていました。

薄暗い診察室。冷酷な表情で準備を進める男性医師。モーター音とともに持ち上げられ、逃げ場のないパステルカラーの台の上で脚を大きく開かされる女性。

カメラは、カーテンの向こう側から女性の無防備な下半身を舐めるように捉え(直接的な描写は避けるにせよ、構図として極めて生々しく示唆し)、次に、屈辱と恐怖に歪む女性の顔のアップへと執拗に切り替わります。

これらは、真摯な医療の描写などではありません。明確な「権力のポルノグラフィ」です。 そこでは、医療行為は単なる建前に過ぎず、本質は「白衣を着た強者による、社会的弱者の絶対的な服従(あるいは身体の搾取)」のメタファーとして機能していました。社会的な鎧を剥ぎ取られ、絶対的な権力差の前に強制的に開かされた女性が、なす術もなく羞恥に顔を染める姿。あの内診台という装置が作り出す「服従の構図」を、当時の作り手たちは確信犯的に、あるいは無自覚なエンターテインメントのスパイスとして消費していたのです。 

現代のテレビが徹底して隠蔽した「密室の権力性」を、かつての映像メディアは暴力的なまでに可視化し、見世物にしていました。 

しかし恐ろしいのは、これが単なるフィクションの演出ではないということです。画面の中で男たちの欲望を満たすための構図として消費されてきたあの光景こそが、現実の女性たちが最も恐れ、分厚いカーテンによって必死に防衛しようとしている「まなざしの暴走」の正体そのものなのです。 

綺麗なファンタジーで漂白する現代のテレビと、権力のエロティシズムや悲劇のスパイスとして無神経に消費した一昔前の映像作品。メディアのこの極端な二面性こそが、現実の診察室から 「フラットな対話」を奪い続けているのです。

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