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本ブログは、医療空間における権力構造や、そこに生じる心理的な嫌悪感・ざわつき等を分析・考察するものです。特定の医療機関や従事者を非難・攻撃するつもりはありませんが、記事の性質上、医療現場の生々しい実態や直接的な表現が含まれる場合があります。ご自身の心身の状況に合わせて、無理のない範囲で閲覧をご判断ください。詳しくはサイトポリシーをご一読ください。
こんにちは、御簾納です。
前回に続き、熊田曜子氏の婦人科検診動画について考えます。
彼女が自らの身体を張って「検診の重要性」を啓蒙したにもかかわらず、なぜ一部の層はそれを下世話に消費し、あるいは「わざわざ見せるなんてはしたない」とバッシングに走ったのでしょうか。
そこには、日本社会が女性の身体に対して抱えている、極めて未成熟な「まなざしの歪み」が存在します。
この社会において、女性の身体、特に生殖に関わる部分は、歴史的に「隠蔽されるべきタブー」か、あるいは「男性によって消費される対象(ポルノ)」のどちらかに極端に分類されてきました。
熊田氏が動画で提示したのは、そのどちらでもない、「自分自身の健康を管理するための、中立的な身体」でした。しかし、オーディエンス側(特に男性や、保守的な価値観を持つ人々)の多くは、その「中立的な女性の身体」を見るための文脈(コード)を持ち合わせていなかったのです。
彼らは、内診台に乗る女性の映像を見た瞬間、パニックに陥りました。
「これは隠すべきタブー(恥)なのか? それとも性的な消費対象(エロ)なのか?」
その二項対立の回路しか持たない彼らは、彼女の真摯な啓蒙活動を、無理やり自分たちの卑俗なコードに引きずり下ろすことでしか処理できなかったのです。それが、「再生数稼ぎの露出だ」というバッシングや、下世話な揶揄へと繋がりました。
この事象は、日本の女性たちがなぜ婦人科という空間で「カーテン」に依存せざるを得ないのか、その根源的な理由を逆説的に証明しています。
社会のまなざしがこれほどまでに未成熟で、女性の身体をただ「一人の人間の身体」としてフラットに尊重できない状態だからこそ、女性たちは自分自身を強固なカーテンで隠し、防衛しなければならないのです。
熊田氏の行動は、決して「自意識過剰」や「炎上商法」などではありません。彼女は身をもって、この社会に蔓延する「女性の身体を消費・揶揄せずにはいられない、冷酷なまなざし」の存在を可視化してくれました。
私たちは、あの動画に寄せられた心無いコメント群を、単なるネットのノイズとして片付けてはなりません。それは、私たち一人一人の内側にある「まなざしの歪み」の集合体です。
彼女の勇気ある啓蒙活動を本当に無駄にしないためには、まず社会の側が、そして男性の側が、女性の身体に向ける「まなざしの文脈」を成熟させる必要があると、私は強く感じています。


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