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本ブログは、医療空間における権力構造や、そこに生じる心理的な嫌悪感・ざわつき等を分析・考察するものです。特定の医療機関や従事者を非難・攻撃するつもりはありませんが、記事の性質上、医療現場の生々しい実態や直接的な表現が含まれる場合があります。ご自身の心身の状況に合わせて、無理のない範囲で閲覧をご判断ください。詳しくはサイトポリシーをご一読ください。
こんにちは、御簾納です。
日本の内診室を象徴する、下半身と上半身を分断する分厚いカーテン。これまで女性たちは、少しでも羞恥心を和らげるため、あるいは現実逃避をするため、この布切れの存在に深く依存してきました。
「顔が見えないから安心できる」。
それが、カーテンを肯定する最大の理由として語られます。しかし、本当にそうでしょうか。
顔が見えないということは、相手の表情も読めないということです。いつ、どんな器具が、どのように挿入されるのかが全く見えない暗闇の中で、女性たちは極限の緊張と恐怖を強いられています。
さらに残酷なのは、このカーテンが女性の身体から「顔(=アイデンティティ)」を物理的に切断し、下半身だけを独立した「処理されるべきモノ」へと変換してしまう効果を持っていることです。
では、このカーテンは一体「誰のため」にあるのでしょうか。
結論から言えば、これは女性「だけ」を守るものではありません。同時に、「医療者が、目の前の患者を『一人の感情を持った人間』として直視し続けるという強烈な精神的負荷から逃れ、医療的タスクに集中するための防波堤」としても機能しているのです。
もしカーテンが無ければ、医師は診察中、恐怖や屈辱に歪む女性の「顔(人間としての感情)」と真正面から向き合い続けなければなりません。それは、強大な権力を行使する側にとっても、決して心地の良いものではないはずです。
カーテンを引くことで、医師は相手を「一人の感情を持った人間」から、「ただの生殖器官という物質」へと完全に切り離して作業に没頭することができます。
女性への配慮という美名のもとに普及したこの布は、皮肉なことに結果として、医療側にとっても「患者との感情的な摩擦を避け、いかに効率よく患部を処置するか」を可能にしてしまう、ある意味都合の良い空間の分断装置にもなっているのです。
そして、この医療側の「効率と支配」をさらに暴力的なレベルまで引き上げたのが、もう一つの装置です。次回、あの電動内診台の本当の恐ろしさについて語ります。


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